詩は生きてうずく
3.11が近づき、震災関係の報道が続いている。そのとき、ふらちにも頭にうかびあがってくるのは中原中也のこの詩です。
汚れつちまつた悲しみに……
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
悲しみという事を口に出してしまうとよごれてしまう感覚、これは大切にしたい。
忘れない忘れる。これは個人の感覚です。生活があり、感情は政治にまぎれてしまう。
時間は過ぎていく。でも、その反面、立ち止まった生な感覚はうずいてしまう。所詮、人の体験で人ごとです。それをなだめるのはこの詩です。
悲しみの感覚だけが人と共有できることでしかない。
あざといかもしれませんが、そういう純度がこの詩にはあると思います。
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