悲しみ
夏の夜の博覧会は、かなしからずや
中原中也
夏の夜の博覧会は、哀しからずや
雨ちよと降りて、やがてもあがりぬ
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
女房買物をなす間、
象の前に僕と坊やとはゐぬ、
二人蹲(しやが)んでゐぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ
三人博覧会を出でぬかなしからずや
不忍(しのばず)ノ池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ
そは坊やの見し、水の中にて最も大なるものなりき、かなしからずや、
髪毛風に吹かれつ
見てありぬ、見てありぬ、かなしからずや
それより手を引きて歩きて
広小路に出でぬ、かなしからずや
広小路にて玩具を買ひぬ、兎の玩具かなしからずや
その日博覧会に入りしばかりの刻(とき)は
なほ明るく、昼の明(あかり)ありぬ、
われら三人(みたり)飛行機にのりぬ
例の廻旋する飛行機にのりぬ
飛行機の夕空にめぐれば、
四囲の燈光また夕空にめぐりぬ
夕空は、紺青(こんじやう)の色なりき
燈光は、貝釦(かひボタン)の色なりき
その時よ、坊や見てありぬ
その時よ、めぐる釦を
その時よ、坊やみてありぬ
その時よ、紺青の空!
今回、中原中也の詩を書くので調べたとき、NHKの100de名著「中原中也」で紹介されていて心に留まった。子供を失ったときの心情を歌って悲しくて怖い詩だ。人を亡くしたとき思い出すのは楽しくて夢中な一瞬だ。しかし、このように言葉にしてしまうと悲しみに取り込まれてしまうような気がする。実際、中也はその何年かのち、結核が進み30歳そこそこで死んでしまう。
中原中也は内的世界に住んでいて、しかしながら、生活に強い執着をもっていた。彼の詩は息子、文也の死に出会って深まった思う。しかし、それは彼が未来を失った悲しみが強いと思う。だが、しかし、そのことばはそのエゴを乗り越え心に届く。
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