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物語が完結すること

 ヤマザキマリの「オリンポス・キュクロス」の二巻を読んでいて、久しぶりに手塚治虫が読みたくなりました。で、前から再評価されていた「奇子」を読んでみました。以前、「MW」や「きりひと賛歌」なんかの大人マンガを読んでたんだけど、これは未読でした。寄子が幼い子供から人々を振り回す無道徳な謎多き女になっていく過程がこまやかで、彼らを破滅に追い込む物語が爽快感まであって面白かったです。読んだ人ほかの人はどうかなって思って、「100分de名著 手塚治虫」の精神科医師、斎藤環さんの評論も読んでみました。この本、釈徹宗さんが「火の鳥 鳳凰編」、ブルボンヌさんが「MW」を語られていて、新しい発見があって面白かったです。

 で、斎藤環さんの話で、手塚治虫の長編は起承転結があって完結するってことがいいって書かれていたのに、共感しました。最近は「ドラゴンボール」ぐらいから目立つのですけど、完結しないものが多い。もう、話を広げすぎて、「ナルト」や「ワンピース」は何が物語を動かす原動力になっているか、ぼやけてきます。完結しても、あ、終わったかってなってしまう。完結があるとテーマがシンプルに打ち出されて感じがして、すごく心に食い込んでいくような気がするんですね。

 私は羽海野チカの「はちみつとクローバー」から、改めて漫画を読んでみようと思ったのですが、あの物語には結末があるので、テーマが明確にみえる。私が感じるに、芸術を志すとはどういうことかという覚悟の物語なのですね。主人公は美大で、はぐちゃんという天才に会い、自分の限界を知るけれど、彼女の才能を含め恋してしまう。でも、最後に芸術と恋愛して、誰も心に入らなくなった彼女にとっては、青春時代の友達に過ぎなかったことをさとるのです。はぐちゃんに告白せずに主人公は去るのですが、そばを通っても彼女は気が付かない、でも、就職先に去る列車に彼女はお弁当を届ける。ここは明確に主人公の空想なんです。で、主人公のモノローグ、「でも、恋をしたことに意味はあった」で終わる。彼が何かしらを受け取ったのです。

 この漫画は才能を持つ人のつらさもきちんと描いています。はぐちゃんは、自分を身体でわかる同じ天才の男の子に一度だけ恋するのですけど、男の子は身を引いてしまう。なぜなら、お互いに食いあいになるからですね。男が才能がある人ならサポートに回る人は結構いますが、女性が才能がある場合はむずかしい。

 彫刻家のロダンとクロデールとか、大恋愛にはなるけど、女性はぐちゃぐちゃになる。サポートに回れても、才能ある女性が一生鬱屈を抱えて生きていくことも多いです。だから、はぐちゃんは自分の欠落を埋めるためのアートを教えてくれた男性と結婚する。彼はそう導いた自分に責任をとる。そして、年上で精神的だけでなく、経済で支えられる自分が、対等な関係でなく、守り手として生きることを決める。恋愛と結婚、夢と生活、青春の混沌といったテーマが主人公の挫折という変化への結末で明確になる。

 今、はやっている「鬼滅の刃」にちょっと期待しているのは完結を目指してるように見えるからですね。あのマンガはキャラクターが兄弟という設定が何組もでてくる。感想で、主人公は俺は長男だからって言うの封建的で古いってありまして、なるほどなって思いました。私はイラストでは、主人公の丹次郎と鬼になった妹の禰豆子は恋人のようにみえるのですね。中高生向きだということもありますが、今、恋愛だとその人の人生を背負うっていうのは、説得力がないっていうこともあるかなって思っています。だからこその家が重い大正時代だと思っています。登場人物が次々死んでいくのも物語を終わらせようとする意志を感じますね。

 斎藤環さんの評論で、固定された性格のキャラと性格が変化するキャラクターと区別していたけど、どうかな。例として、手塚はキャラのある「明日のジョー」は描けないって言ってたそうですけど、あれはキャラが物語を動かしているけど、確かに長編として完結している。完結と性格の変化は関係ないんじゃないかな。ジョーの性格は固定されているけど、神の視点としての奇子の変化は別ですよね。小説的な書き方は神の視点ですけど、これは完結とは関係ない。むしろ、終わらせたい最後が明確でない。それは描きたいテーマが明確に考えられていない事なんかなって思っています。悪い例だと、走りながら描いていると色々と寄り道して、テーマがぼやけるってことではないかと思っています。私にとって完結は変化だと思っています。他の手塚作品では、自分が男の子だと思っていた「どろろ」が女の子としての自覚をもって完結する。ジョーがやり切ったと「真っ白に燃え尽きた」と自問する。

 このごろ、長編マンガは話が落ち着く5、6巻目が面白いっていわれますし、空海と最澄を描いた「阿吽」で岡崎真里さんが、私は絵画的に仏教をマンガで表現したいので、ストーリーを描き切ることをあまり重視していないっていってたような。絵画的なアプローチかもしれない。アクション場面を中心に描きたい人も多いでしょう。漫画は絵画的なものであって記号としての情報をつめこむやり方とストーリーに絵を落とし込むやり方があるのかな。わからん。

 確かに人間の道徳を飛び越えた欲望を描いた「奇子」や「火の鳥鳳凰編」のように主人公たちの善と悪が入れ替わる手塚まんがはかっこいいですけど。そして、そういう性格が変化していくことで見る物語を読みたいと切に思いますが、なかなかに難しいことに思います。


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