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思いがけないギフト

スワロー亭の二人はともに小布施まちづくり委員会というところに参加している。同会はごく簡単にいうと、町民を中心としたボランティアまちづくり団体のようなものだ。町とパートナーシップ協定というものを結んでおり、町、議会、同会の3者が情報交換し、知恵と力を出し合って住みよい楽しい町をつくっていこう、ということで16年前に結成されたという。町へ越してきて間もないころ「入りなよ」とお声がけをいただき、「はい入ります」となにも考えずに入った会で、辞める理由もきっかけもないのでかれこれ11年間参加しつづけている。

と書きはじめたところで早くも話の入りを誤っただろうかという気がしている。長くなりそうなところはバサッと割愛してできるだけ早めに本題に入りたい。

同会の活動として、鳥取県にある書店「汽水空港」の店主モリテツヤさんをお呼びして講演会とワークショップをやりたい、とスワロー亭中島が提案したところ、なんだかんだとありながらも結果としてこれが受け容れられ、モリさんが小布施に2泊3日で滞在された。9月上旬のことだった。企画を提案したいきがかり上、流れ的に講師のアテンドは自分がやるのが円滑だろうということで、軽バンで車中泊をしながら小布施に到着されたモリさんを出迎え、食事をご一緒したり、モリさんが興味をもたれた場所へ案内したり、ということをやって過ごした。講演会の翌日にはスワロー亭でトークイベントにもご出演いただいた。これらの催事についてはまた改めて記録したい。

モリさんは小布施を含む信州の旅を楽しんでくださった。自分はモリさんを小布施へお呼びし町民のみなさんにモリさんと接する機会を提供することができ、モリさんが滞在を楽しんでくださった、それらのことだけで満足だった。

その後、日々の状況や自分の気分やいろいろのかねあいで必要以上に時間がかかりながらも、重かった腰がようやく上がり、9月の講演会及びワークショップとトークイベントの記録冊子の制作が2カ月を経て動きはじめた。これを書いている今も原稿の編集を進めているさなかだ。

そんな11月半ばのある日、所用で出かけて帰宅後、遅い昼食をとっていたところへ奥田が現れて「あっ!」と大きい声をあげてどこかへ出ていった。普段、至近距離にいても会話の声が聞き取れないほど小さい声で話す相手が不意に発した大声にびっくりしていると、奥田は紙袋の包みを1つ抱えて戻ってきた。

なんだろう? と思って見ると、差出人欄に「汽水空港」と印字されている。え? 汽水空港? 商品を注文した覚えもないし、はて? と思いながら送り状をさらに見ると品名欄には「米」と記されていた。

おお!

これはもしや!!

モーニングファーマーの収穫物ではないか!!!

そういえば9月のイベント後になにかの連絡を取り合った際、モリさんからのメールに「田んぼはやってますか?」と書かれていたことがあった。スワロー亭の裏手にある小さい庭で、少々の野菜とひょうたんを栽培しているようすは、モリさんが小布施に来られたときに見ていただいていた。田んぼについてのお尋ねは、その流れを受けた当方の栽培状況の話なのかと思っていたが、違ったようだ。うちに米があるかどうかを確認する質問だったのだろう。

包みを開封すると手書きのメッセージと茶色の紙袋にパンパンに詰められたお米が現れた。お米の紙袋には「from汽水空港toスワロー亭」と記され、飛行機とツバメが飛んでいる。さすがは汽水空港、お米もこうやって離陸、着陸するのだ。

手書きのメッセージには、9月の小布施旅が楽しかったこと、次は家族で行きたいと思っていること、お米の説明が綴られていた。お米はイセヒカリという初めて聞く品種だった。

モーニングファーマーというのは、モリさん夫妻と近所のご家族2組の計3組からなる農ネットワーク。それぞれ本業をもつ3組のご家族が、仕事をやりながらお米づくりをやるため、互いに力を出し合って田んぼを営んでおられる。

モーニングファーマーの田んぼのようすは汽水空港のSNS投稿でときどきチラ見していた。最後の稲刈りの際には、はぜかけの作業をダンクシュート方式で一人ひとり順番に刈り取った稲の束を手に取り、はぜ棒に走り寄り、ジャンプしてかけていく、というやり方で、作業的にはカロリー消費がさらに活発になりそうだが、骨の折れる作業をなんとか少しでも楽しくやろうという工夫なのか、メンバーのみなさんが稲を拾い上げては走り、はぜにかけてはまた戻り、とクルクル走り回るようすをアップされた動画で見ていた。その後数日を経て、はぜ棒が落下してしまい、せっかくの米が泥まみれになり、心折れそうになりながらもなんとかはぜ棒を修繕……という顛末も見ていた。そのようにして断片だけにふれても、たいへんな思いをしながらやっと収穫に漕ぎ着けたのだろうことがうかがえる。自分自身も兼業農家に育って幼少期から田畑へ労働力として(その働きは微々たるものだったが)駆り出されていたから、田植えや稲刈りが心身にこたえる作業であることは経験からもわかる。

モリさんは書店の開業前に農業研修を2年間経験してこられたので、手順はご存じだろうし、栽培のたいへんさもわかっていたものと思う。他の2組のご家族はもしかしたら米づくり初体験だったのかもしれない。いずれにしてもたくさんの時間とエネルギーを注いで収穫に至ったお米だ。それをこのようにして送ってくださった。なんだかすぐには言葉が出てこなかった。ただじんわりと、身体の芯があたためられていくような感覚を味わっていた。

たしかモリさんのSNS投稿に、収穫されたお米は3家族が1年間食べていくのに充分な量だった、と書かれていた。その余剰分をこうして、想像するに全国各地の友人知人の方々に分けておられるのだろう。その包みの一つひとつに、こうやってfrom汽水空港、toどこどこ(誰々)と絵も書き添えているものと思う。ハガキにメッセージもびっしりと書き込んで同封しているのだろう。手間のかかる作業を、noteで始められた日記や、そのほか山盛りのやりたいこと、やらなければならないことを横へ置いてでもモリさんは丁寧に進めていかれたのだ。もともとモリさんはオンラインストアでの注文にもすべて手書きのメッセージをつけて発送しておられる。タネのオマケまでつけていると、これもSNS投稿で見たことがある。慣れている面はあるのだろうが、まとめての発送作業にかなり手間ひまがかかっていることは間違いないだろう。

豊かさ、という言葉はあまりにもいろいろな場面で多用されすぎて、豊かだ、と口に出しても文字に書いてもなんだかちっとも豊かな感じがしないが、ほかにふさわしい言い方がなかなな思いつかない。なにしろ、豊かさとはこういうことではないか。

大金を所持していてもモーニングファーマーのイセヒカリを買って食べることはそう簡単にはできない。縁に恵まれ、ともに過ごした時間があり、望んで求めたのではないシチュエーションでギフトとしていただくことができた、手塩にかけて育てられたお米だ。資本主義に対抗できるのはこうしたやりとりなのかもしれないとさえ思えてくる。

田んぼや畑をやっているのはいいなあ、と折にふれて思ってきた。すでに書いたように自分自身も田んぼや畑をやりながら幼少期を過ごしてはきたが、残念ながらリアルタイムでその営みに豊かさを実感することはなかった。農作業をする親たちは疲れた疲れたと言うばかりで、おそらくその背後には言葉にならない喜びや充実感が横たわっていたのだろうと今になって想像はするものの、農業はつらく苦しいもの、というイメージが自分の中に知らずしらず植えつけられていた。豊かだ、と感じるようになったのは長じてずっと後だった。手ずから育てた、プロセスがすべてわかる作物を食べられる安心感や手応えのようなものはもちろん、そこに生じた余剰を誰かに手渡すことができる。とくに小布施に住みはじめてからは、朝起きると玄関先にキュウリやナスが誰からともなく置かれている機会も増えた。秋になれば「リンゴある?」があいさつ代わりになる。旬の時期になるとおよそ同じ品目がどの家でも一斉に収穫できる。それが家族内での消費量を超えるお宅も少なくない。だから消費を手伝ってもらえれば作物を腐らせずに済むからむしろありがたい、というような事情もあるようだが、食べ物をそうやって近所同士でやりとりしあうこともかなり豊かだ。そこに住んでいる人たちには、豊かだ、という感覚は前景化しにくいものかもしれないが。

うちと同じように本屋を営んでいるモリさんが、積極的な意思をもってお仲間と育てたお米を、いつにもましてしっかり噛みしめ味わおうと思う。講演録、仕上がったら送ります。早めに仕上げよう。

なお画像はお米に同梱のメッセージハガキに描かれていたツバメ。(スワロー亭 中島)

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