コクテイル図解小

コクテイル書房 図解(一階編)

コクテイル書房 

”町の本棚としての居場所”

 新宿から中央線で2駅。阿波踊りの発車メロディが軽快に流れるホームに降りて、北口へ。バスやタクシーが行き交うロータリーでギターをかき鳴らす駆け出しのシンガーを横目に、飲み屋が立ち並ぶレトロな風情漂う高架下脇の商店街を西に進む。小さなスナックや風俗店が続く怪しげな通りを過ぎると、だんだんと長閑でひっそりとした街並みになっていく。個人経営の飲食店や個性的な古着屋、長屋のような外観の古い商店もあり、少し懐かしさを感じる。そんな通りで一際目を引くのが、「コクテイル書房」だ。

 古びた木と色褪せた白の外壁、細やかに桟が入った窓、どこかレトロさを感じる建物の周りには、大小様々な本棚が置かれている。大きな看板は見当たらないが、注意してみてみると、路地に面した入り口脇に「コ」と書かれた木彫りの看板がかけられ、通り沿いの照明にはコクテイルの木札が下げられていた。少し重めの引き戸を開く。

 まず目に飛び込んできたのは、壁を上から下まで埋め尽くす大きな本棚と、低い机が置かれた渋い色合いの小上がりだ。店内の奥を見やると、文庫本が並ぶカウンターテーブルに沿って腰掛ける3、4人の客、そしてテーブル越しには忙しく動く店主の姿が。1人で寛いでいる人もいれば、2人でお喋りを楽しんでいる人もいるが、声のトーンは囁くような落ち着きのあるもので、時間が止まっているような静かで穏やかな空間が広がっている。

 コクテイル書房は古本屋兼飲食店だ。新書からコミックまで様々なジャンルの古本に囲まれた空間でお酒を飲み、気になった本は手にとって読んだり、購入をすることもできる。早速、空いているカウンターの席に腰掛けると、店主の狩野俊さんがメニューを渡してくれた。メニューは3種類。タイプされたお酒のメニューと、オリジナルサワーの説明書、そしてもう一つは原稿用紙に書かれた手書きのメニューだ。

 手書きのメニューにはその日の料理とサワーが書いてあり、その日あったことや日にちに因んだ歴史上の出来事などが上部に記されている。中でも気になるのは”本日の文学ポテサラ”だ。その日は「牛肉と馬鈴薯ポテサラ」。「牛肉と馬鈴薯」とは国木田独歩の短編小説のタイトルである。また、メニュー端には「スタインベックサワー」「ヘミングウェイサワー」「中原中也サワー」という”文学サワー”も並んでいる。これは是が非でも頼んでみたい。文学ポテサラ、中原中也サワー、その他気になった食事を注文し、待っている間にオリジナルサワーの説明書を読むことにした。スタインベックサワー、中原中也サワー、ヘミングウェイサワーの詳細が順にまとめられている。例えば、中原中也サワーの説明は下記の通りだ。

「中原中也サワー 昔味わった失恋の味を再現 梅酒ベース。ここ高円寺で恋人を小林秀雄に奪われた中也。時を経て、昔の失恋を思い出す彼のこころをサワーで表現しました。グラスの飲み口にレモンを塗ります。梅酒を注ぎ、炭酸で割ります。最後にビターという苦いお酒をたらします。飲み始めは、苦く、刺すような酸味を感じますがグラスを傾けてるうちに、渾然とした甘みを感じます。」

てっきり、中原中也が書いた詩の中のお酒を再現したものと思っていた。さらに高円寺にそんな逸話があったとは知らず、純粋に感心してしまった。他にも、スタインベックサワーは著書の”怒りの葡萄”を表現し、ヘミングウェイサワーは彼が好きだったカクテルをベースにしたと説明されている。文学の豆知識も織り交ぜつつ、文学作品をサワーに昇華させる過程を誠実な文体でまとめた説明書からは、狩野さんのささやかな遊び心を垣間見ることができる。

 最初に出てきたのは中原中也サワー。梅酒を淡くしたような琥珀色だ。早速、口をつけてみると、飲み口のレモンとビターの味わいが強く、重々しい苦さを感じられる。次の一口は多めに飲んでみる。すると、奥に沈んでいた梅酒がじんわりと滲み出て、苦さの中にも甘さを感じるように。時間をかけて飲み進めていくとだんだんと甘さが増えてきた。狩野さんはこれを「失恋は最初は苦く感じますが、時間が経てば甘い思い出になります。」と話してくれた。中也の恋心の移り変わりを描いたサワーに、狩野さんのロマンを感じるとともに、サワーで時間の概念をも表現できるのかとそのアイデアに感服した。

 サワーに次いで、料理も次々と出てくる。牛肉と馬鈴薯ポテサラは、和牛の旨味と、ポテトサラダのまったりとした味わいの中に、ザワークラフトとマスタードの酸味が効いた逸品だ。そのままでも美味しいが、日本酒と合わせると止まらなくなりそうだ。他にも、大正コロッケや、豚と豆腐のオイスターソース、カキとマッシュルームのブルーチーズソースなど、どれも素材の味を引き立てた深い旨みがあり、何度でも噛み締めたくなる。

 料理を一通り楽しんだところで、最後にスタインベックサワーを注文した。焼酎と炭酸が入った透明なグラスと、ブドウジュースと赤ワインが入った深い赤紫色のグラスの二つがカウンターに置かれる。透明なグラスに赤ワインを入れて飲むそうなので、恐る恐るグラスを傾けて少しずつ注いでみた。透明な焼酎に、深い赤ワインが溶けて沈んでいく姿が美しい。色が完全に混じりあったところで口にしてみると、ワインと焼酎の味わいが強くほぼ甘みを感じられない”遊びのない”味だ。それを率直に狩野さんに伝えたところ、少しだけ微笑んで「葡萄の怒りです」と答えてくれた。狩野さんはすぐに厨房に戻っていったが、料理やサワーから感じられる遊び心は楽しく、食事を終える頃にはすっかりコクテイル書房のファンとなってしまった。

(二階編に続く)

https://note.mu/enyahonami/n/n8f40d03d26fc

コクテイル書房
〒166-0002
東京都杉並区高円寺北3丁目8-13
03-3310-8130
昼営業 11:30~15:00(火水休)
夜営業 18:00~23:00(無休)

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