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ショートショート『テレホン・ラジオ』

 “散歩”を始めて七回目の夜、私と裕はだだっ広い国道をゆらゆらと歩いていた。
 私たちの他に歩く人影は見当たらず、時おり乾いた風と車がアスファルトを擦る音を立てて通りすぎていくだけである。

 ふと気が付くと目の前に電話ボックスがあった。それは途方もなく暗い海にポツンと浮かぶくらげのように発光し、周囲の生ぬるい空気を仄白く照らし出していた。なんとなく、この電話ボックスは何十年も前からこの場所で私たちを待っていたような気がした。

 私と裕は足を止め、顔を見合わせた。携帯電話をポケットから引っ張り出し時間を見ると、三時十分前である。

 深夜三時に電話ボックスでだけ流れるラジオがあると教えてくれたのは、さっき千住の居酒屋で出会った落合さんだ。
 投資家を名乗る彼は、なぜか全国津々浦々の不思議な話を知っていて、それらを肴に毎晩いろいろな街を渡り歩いているようだった。中でもお気に入りの話のタネが、彼が数年前に偶然出会ったという電話ボックスのラジオであった。彼は特ダネの口止め料だと豪快に笑いながら、私と裕にビールと焼鳥をおごってくれた。

 私たちは落合さんの話を信じていたわけではなかったけれど、他にすることもないのでこの電話ボックスで特ダネの真偽を確かめてみることにした。
 ガラスの内側に足を踏み入れ扉を閉めると、おどろくほど外の音が聞こえなくなり、さっきまで歩いていた国道が別世界のように思われた。もしかしたら宇宙船の中はこんな感じなのかもしれない。

 やがて三時になると、私たちは電話に十円玉を入れ、二人で受話器に耳を寄せ合った。数回のコール音の後にかすかな話し声が聞こえ、その声は次第に明瞭になった。

「…こ…ばんは、数少ないリスナーの皆さん、テレホン・ラジオの時間です」

 それは確かにラジオだった。

 私と裕は再び顔を見合わせ、それからお互いの頬と頬をぶつけるように受話器に耳を押し当てた。

「本日もお相手は、ペットのカメが散歩に出たきり帰って来ない、孤独なラジオDJです」

 ラジオDJを名乗る声は男のようだったが、それ以外は妙に掴みどころのない声だった。二十代と言われればそう聞こえるし、皺だらけのおじいちゃんと言われても特別驚かない。ただ、お気に入りの音楽のように耳に馴染んで、心地の良い声であることは確かであった。

 男は話をするのもとても上手だった。私たちはいつの間にか男の軽快なトークに聞き入ってしまっていた。

 彼はラーメン屋で味付け玉子を九個たいらげた話に見事なオチをつけ一呼吸おくと、道端で野良猫に話しかけるように、
「ここでリスナーの皆さんの声を聞いてみましょう。やっほー」
と言った。すると、

「やっほー、聞こえますか」
女性の声がノイズに紛れ小さく聞こえた。

「聞こえますよ、こんばんは」とパーソナリティーの男。
「今日は飲みすぎちゃいやした」
 女性がけらけら呟くと、次々に色々な人の声が聞こえはじめた。
「やっほー、こちらは残業でしたよう」
「それはそれは、お疲れ様です」
「やっほー、僕はお腹が空いちゃって、ふらっとチャーシュー麺を食べてきました」
「いいですね、今度は味玉トッピングをおすすめしますよ」

 ここまで聴いて、私は慌てて受話器から顔を離した。この声は、本当に今ラジオを聴いている人たちのものなのだろうか。だとしたら、こちらの音もパーソナリティーの男や別の電話ボックスのリスナーたちに繋がっているのかもしれない。そう思うと身体の内側がすっと熱くなり、心臓が大きく鳴り出した。
 隣の裕をちらりと見上げると、口の端を少し上げて私を見ている。私が息を小さく吸い、受話器に口を近づけたその時、

「おっと早いもので、そろそろ時間になってしまいましたね」
 そう軽やかに男が言い、プツリと他の人の声は聞こえなくなってしまった。私はほっとしたような、少し寂しいような気持になった。

「というわけで、深夜三時からお送りしてまいりましたテレホン・ラジオ、最後の最後に臨時ニュースをお伝えしてお別れです」

 男はそこで初めて原稿を確認するようにほんの一瞬間をあけ、それから何事もなかったようにニュースを告げた。

「今日、夜明け前に地球が滅亡するようです」

 男の口調はまるで天気予報を伝えるみたいに朗らかだった。

「それでは皆さん、また明日…じゃない、また来世で。さようなら」

 とぼけたジングルが流れた後、受話器からは何も聞こえなくなり、私たちはただのガラスの箱の中の空間に引き戻された。
 私も裕も、誰もひとことも発することなく、ゆっくりと受話器を戻し電話ボックスの外に出た。風はすっかり止んでいた。

 私は近くのガードレールに腰掛け、遠くを走る車のテールランプを見つめた。少しずつ滲んで小さくなっていくオレンジ色の光を目に映しながら、どこか別の電話ボックスで同じ秘密を抱えている人たちのことを、ぼんやり考えた。

「ラーメン」
裕が突然口を開いた。
「食べよう」
ハッと裕を見上げると、彼は微笑んでいた。私も笑って頷いた。

 そうして私たちは地球最後のラーメンをすするため、遠くのちっぽけな屋台の明かりに向かって歩き出した。


(お題: 「電話ボックス」)

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これからnoteで短いお話をのんびり載せていくつもりです。

自分の中で適当な単語をお題に決めて、そこから浮かんできた有象無象をなんとか物語の形にしていこうと思います(余力があれば絵も描きます…)。

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