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血液とナポリタン

久しぶりに指を切ってしまった。

ナポリタンをつくるために玉ねぎを細切りにしている最中、あらぬところに薬指をうっかり置いてしまい、玉ねぎと一緒に刻みかけたのだ。

あっ、と思ったときには第一関節に1センチほどの白い線が走っていて、これはちょっと深いかも、と頭が認識してコンマ数秒経ってやっと、じわじわと血が流れ始めた。このコンマ数秒の間に、私は最近料理をよくするようになって油断していたことを反省した。手なずけたつもりでいた暴れ馬をちょっとした不注意によって怒らせてしまい、急に振り落とされたような気分だった。

慌てて指を流水にあて、傷口を観察する。血がとめどなく出てくるのを見て、「人に言われて初めて自分が大量に出血していることに気づきショックで死んでしまった怪我人がいる」という話を思い出し、できるだけ血を気にしないようにしなければ、と思った。
かなりお腹が空いていたこともあって、ティッシュでちょっとだけ抑えてから、早々に絆創膏を巻きつける。それでもまだ血は止まらず、絆創膏の小さな穴からところてんのようににゅるにゅると染み出してきたので、上からさらにティッシュを巻いて封印した。ティッシュは少しずつ赤くなっていくが、気にしない、気にしない。

それから私は気をとりなおして残りの玉ねぎを切り、使わなかった分はラップして冷蔵庫にしまい、切った野菜やソーセージをフライパンで炒めた。
調理中、右手の甲に小さな赤い滴が付いていて、血かと一瞬思ったけれど、舐めたら甘いトマトの味がした。ケチャップだった。

ナポリタンが出来上がってもまだなお血は滲み続けていて、絆創膏の上のティッシュを3回変えなければいけなかったけれど、我ながら頭は冷静だと思った。指は心臓より上に位置するようにしっかり心がけた。

血といえば、以前彼が「高校生の時授業で出産の瞬間を捉えたビデオを見て、大量の血にあやうく失神しかけた」と言っていたのを思い出す。やっぱり男性の方がそういう人体系(?)に弱いのかしら、と骨折した足にチタンを入れたと嬉々として話す祖母の横で渋い顔をしていた祖父と父を頭に浮かべながら考える。

血は私たちの「生」に密接に結びついているくせに、なぜ畏れてしまうのだろう。

たぶん、あまりに鮮やかすぎるのだと思う。普段自分が生きている姿は皮膚に覆われていて穏やかな肌色をしているのに、血の色は激しすぎる。凝固して黒っぽい色になった血の方が、まだ親近感が湧くというものだ。鮮やかな上に、富士の天然水かのようにドクドクと出てきちゃうもんだから、なおさらおっかない。いつもどおりの表情をしている指の先から、真っ赤な血が溢れてくるなんて奇妙な感じだ。
人間のほんとうの色はこんなに激しい赤色なのだろうか。

そんなことを考えながらスパゲティをフォークに巻きつけている時も、おっかない液体はまだ絆創膏の下で流出し続けているようだった。私はそんなおっかない左手の代わりに、TVerで再生したドラマを目に映しながら、ナポリタンを一心不乱に食べた。

ナポリタンはそれなりに美味しく、私はひとり「血を流してつくり上げたナポリタン、なんだか大そうな響きだな」とほくそ笑んだ。

血は、食べ終わる頃には止まっていた。

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