ナミダくんは友達
その2 ナミダくんは友達 2004年5月up
※※※これは2004年5月に書いた文章です。予めご了承くださいませ^^;※※※
涙もろい方である。
うれしいにつけ、悲しいにつけ、ついつい涙が出てきてしまう。日常の生活でもそうならば、映画や本などでも何回見ても必ず泣いてしまうシーンというのがある。
その一つが、「となりのトトロ」。言わずとしれた、もはや国民的と言っても良い、宮崎アニメである。
その中で、主人公のひとりである、さつきちゃんが泣くシーンがある。
ここに、弱いのだ。決まって、泣いてしまう。
お母さんの一時退院を楽しみにしていた、さつきちゃんとメイちゃんの姉妹は、お母さんの体調によってそれが先延ばしになると言う連絡を受ける。いやだ、いやだとだだをこねるメイちゃんを
「少しのばすだけだから。」
と静かに諭すさつきちゃん。
けれども、となりのおばあちゃんと二人になったとき、ふくれあがった不安に耐えきれなくなって声を上げて泣きだすのだ。「お母さん、死んじゃったらどうしよう」と。
このシーンに「きて」しまうのだ。
私は三人姉妹の長女で、彼女の気持ち、心理が痛いほどわかる。もちろん、あんなにできたお姉ちゃんではなく、母は大変頑丈な人であった(健在)けれど、妹の手前、下手なことはできないと思って、自分を押さえた経験は、一度や二度ではなかった・・・と、思う。そんなに細かいことまでは、実は覚えていないのだけど、このシーンで必ず泣いてしまうのだから、きっとそうに違いないのだ。
それから、絵本。「さっちゃんの魔法の手」というのと、「かたあしダチョウのエルフ」。これも、子供に読んでやりながら、途中で号泣してしまい、読み聞かせにならなくなってしまう。
「さっちゃん」のほうは「手のないお母さんなんてヘンだもん!」という子供のセリフで。「エルフ」のほうは、片足になってしまったエルフが子供たちをジャガーから必死で守っているうちに、木になってしまうところで。前者は途中で夫と交代して読んでもらったのだが、彼も号泣してしまったという逸話付きだ。
小説もしかり。浅田次郎さんの「ラブレター」、東野圭吾さんの「秘密」で、滝の涙を流したくせに、「世界の中心で愛を叫ぶ」では、一つも泣けなかったのはヒネクレモノなのだろうか。
子供の幼稚園入園、卒園はもちろん、幼稚園での初めてのかけっこでスタートラインに立った後ろ姿だけで、うるうる来てしまったのには、さすがにまいった。
それから変わったところでは、夫がお釜から直接ご飯を食べるシーンというのがある。
彼は無類のご飯好きで、食事が終わったあと、片づける時にお釜を開けるとまた食べたくなると言う癖があるのだ。今は子供の手前あまりしないが。
で、その姿を見ると、また泣けてくる。これは、自分でもよくわからないのだが、どうも、大切な人の無防備な、またはいじましい姿に弱いらしい。実際、お皿やお茶碗によそって食べてくれれば、何の問題もないのだから。
テレビのご対面にも弱い。途中から見始めても、やっぱり泣けてしまう。24時間マラソンにも弱い。ゴールのシーンだけで泣いてしまう。「ウルルン」は、見ないことにしている。オリンピックは推して知るべし。
なんて涙もろいワタシと思っていたら、この間テレビで「涙はストレス物質を体外に排出する役割がある」と言っていた。なあんだ。私の涙はストレス解消だったのか。そう考えたら、なんだかむなしくてまた泣けてきたりして。
↑こちらも涙活のお話です。合わせてどうぞ!
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