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【エッセイ】 犬も食わない、アレ

 結婚三十余年、小さな諍いを含めて夫婦喧嘩はたくさん重ねてきた。言い間違いや聞き間違い、言った言わないの水掛け論、ちょっとした習慣の違いなど、いわゆる犬も食わないというやつだ。
 その都度、お互いに言いたいことを吐き出して、いい塩梅の着地点を見つけながらの今日である。

 だが、たった一度、本当に一度だけ、家出を考えるほど頭に来たことがある。いや、頭に来たとか腹が立ったとかそういうレベルではなかった気がする。なんだか、もうダメだと思ってしまったのだ。それはもう、自分でも説明できないもので、何かが切れたか溢れたか、そんなモノだったかもしれない。

 きっかけは夕飯時。
 訳あって定時で出かけなければならない夫君のために、私は毎日きっかり6時に夕飯を用意していた。

 毎日6時に間に合わせるというのは言うは易く、実際はなかなか大変で、4時半を過ぎると頭の中は段取りでいっぱいになる。
 この日のメニューは、鶏胸肉を刻んで塩昆布とネギを混ぜた味噌つくねと、トマトのマリネ、かぼちゃの甘煮、長芋のたたきもずく添え。
 段取りとしては、炊飯器をセットしたらかぼちゃを煮つつトマトを漬けて、長芋をたたく。先にもずくをかけると長芋から水が出るので、長芋のみを小鉢に分ける。フードプロセッサーなどは持ち合わせていないため、鶏胸肉はひたすら包丁で刻む。塩昆布と味噌などで調味して、一口大にまとめてフライパンで焼く。
 一通り仕上げたらテーブルに並べる。
 5時56分。なんとかセーフだと、密かにため息をつく。

 息子二人は独立したため、夫婦二人で食卓を囲む。
 いつもはニュース番組を見ながらなんだかんだと会話するのだが、この日はなぜか話がはずまない。後から思えば、夫君には夫君の何らかの屈託があったのかもと思えるのだが、まあ後の祭りである。
 ただ黙々と食べ進める夫君に聞く。

「どう?美味しい?」

 これは、私にとって大切なことで、このレシピをこのまま次にも作っていいのか、何らかの改良が必要なのか、はたまた好みではなかったからもう作らない方がいいのか、フィードバックが欲しいのである。
 はたして夫君の返事は

「…フツー」

 なぜだか本当に不明なのだが、私の中で何かが切れた。意味のわからない涙がぶわっと溢れた。

 音をたてて食器を重ね、シンクに突っ込む。普段なら食後にちょっとしたデザートを食べたりもするのだが、そんな余裕はかけらも無く、ガチャガチャと食器を洗いながら
「けっこう手間かかってるんですけどっ!」とだけ叫んだ気がする。

 そのまま無言で夫君は出かけ、私は濡れた手のまま泣きながらソファに突っ伏した。
 もうだめだ。出て行こう。
 頭の中では、自分の預金と手持ちの現金を計算し、手回品だけを入れるならどのカバンが良いかと考える。最低限の化粧品と着替え、スマホの充電器は必須だ。

 次は行き先だ。
 実家はもとより妹たちに迷惑をかけるわけにはいかない。何よりあっという間に足がつく。独立した子どもたちの所も同様だ。
 とりあえず、どこかホテルにでも泊まろう。今から出るのだから、そんなに遠くでなくても良い。どうせなら居心地の良さそうな所。何泊かするかもしれないからあまり高くない所。ビジネスホテルで良いから、設備の良い所。

 ひたすらスマホで検索する。

 シングルでも広めで、大浴場もあり、アメニティも充実していて、朝食ビュッフェの評判が良く、かつリーズナブルでネットでの評価も高い。電車で移動するから、できれば駅近で、日中気晴らしができるような街ならもっと良い。

 どれくらいそうしていたか。
 ここ良いかもと思い定めて、予約状況を確認したあたりで、ウソのように落ち着いている自分に気がついた。よく憑き物が落ちたようにと言うが、そんな感じである。

「出ていくのはいつでもできるな」

 それどころか、ここなら夫君と行ってみてもいいなとまで考えていたのだから笑える。
 私はスマホを置いて、お風呂にお湯を溜めはじめた。夫君が洗っておいてくれたお風呂である。
 好みの入浴剤を入れて浸かった頃には、家を出る気などかけらも残っていなかった。

 涙はストレス物質を排出してくれるから、定期的に泣くのは精神安定上良いそうだ。
 この時も散々泣いたからスッキリしたのかもしれない。涙活なんて言葉もあるくらいだから、きっとそうなのだろうと思う。

 ただ、きっかけとなった「フツー」というのはクセモノな気がする。
 なんとなく「どうでも良い感」をまとっていると思うのは私だけだろうか。
 今の若い子たちは「フツーに美味しい」とか言うらしいが、フツーは怖いよ。気をつけた方がいいかもよ。フツーにね。

↑昔から泣き虫でした。こちらも涙活がらみです。合わせてどうぞ^^

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