【エッセイ】 不便はエモい?!
なんせアラ還であるもので、幼い頃の話は半世紀以上も遡る。
半世紀=50年
我ながらびっくりする。
思い返せば目まぐるしいほどに世の中の常識は変わり、わたしが親から言い聞かされてきたことや、かつて常識だと教わったことを、7歳下の妹は知らなかったりする。
例えばジュースひとつとっても、ペットボトルなどは当然なくて、缶かガラス瓶であった。缶はプルトップならまだしも小さな器具が付いていて、自分で二箇所穴を開けなければならないものが普通にあったのだ。
瓶のジュースを飲むためには栓抜きが必要で、かつ、そのまま飲むことはラッパ飲みとよばれ、お行儀が悪いとされていた。母や祖母には必ずコップに注いでから飲めと言われたものだ。
後年、母がペットボトルから直接飲んでいるのを見た時はちょっとした衝撃だった。昭和は遠くなりにけりと、感慨深くも思ったものだ。
夏は現在のように沸騰するような暑さではなく、東京下町でもスイカは丸のままバケツに水を張って冷やすものだった。
とうもろこしを食べたら、消化に悪いからと夏でも冷水ではなく湯冷ましを飲まされた。(これはウチだけかも汗)
いちごは今のように甘いものは少なく、潰して砂糖と牛乳を混ぜて食べるものだった。底が平らで凸凹の、専用スプーンまであったのだ。
家でケーキを食べるのは特別なことで、到来ものがあった時か、誕生日、クリスマスなどの記念日に限られた。
「ケーキがあるよ」と言われた時の嬉しさ、自分のために用意されたことの晴れがましさを、いまだに覚えている。
コンビニでいちごの乗ったショートケーキを見るたびに、不思議な気持ちになる。もっともっとスペシャルなモノだったはずなのに。
外食だって特別なことで、お出かけ用の服に着替えて、必ず大人と行くモノだった。いわば、ハレの日である。
熱々の鉄板にのったハンバーグ。初めて食べたシーフードドリア。真っ赤なチェリーの乗ったチョコレートパフェ!
ファミレスが登場し、回転寿司ができ、食べ放題の焼肉やしゃぶしゃぶができて、安価でハードルの低い外食がえらべるようになった。
これはこれで、ありがたいことなのだが、息子たちが中学生にもなれば、友達同士でいくようになり、外食はハレでもなんでもない、ごく日常的なものになってしまった。親が、親だからといいカッコできる機会が減ってしまったということだ。
電話は一家に一台、黒電話が普通だった。
レースかフリルのついたカバーがかかった、ジーコジーコと回すダイヤル式で、受話器はずっしりと重く、ネジネジのコードで本体と繋がっている。
保留もできないので、「お待ちください」と言った後は、受話器を手でふさがないと、生活音がダダ漏れだった。受話器を乗せるとスイッチが入る専用のオルゴールなんてものまであったのだ。
液晶パネルなんかはもちろんないので、誰からかかってきたのかは出てみないとわからない。同じ理由でこちらからかける時も、誰が出るかはわからない。家族を通さず連絡を取るには、時間を決めて電話の前で待ち構えでもしない限り無理な話だった。
ただ、だからこそ電話をかけるマナーのようなモノは小さな頃から仕込まれていて、社会人になった時に、社用電話にもすんなりと馴染めたのだろうと思う。
24時間開いているコンビニがあり、子どもが小遣いで外食でき、持ち運べる小さなコンピュータで電話ができ、写真が撮れ、世界と繋がれる。
すごい未来にいるんだな私、と改めて思う。
そして、全ては不便を便利にするために生まれた技術なのだろうとも思う。
今思えば、不便だったからこそ、時にあった「特別」が嬉しかったのだ。
不便を懐かしむなんて、若い頃は考えるもしなかったけれど、これをエモいというのではなかろうか?
え?違う?
でも、歳をとってこんな気持ちを味わえるのなら、不便も悪くなかったな、と思うのである。
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