![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144147440/rectangle_large_type_2_c3aee6d16315319369f96d86ee61c081.jpeg?width=800)
『夏休みは時計仕掛け』感想
5月19日(日)に開催された文学フリマ東京38にて神崎ユウさんの『夏休みは時計仕掛け』を購入。
『蝶塚』に続いて、小説第二作目である。
『蝶塚』はこちらのページに感想を書いた通り、奇妙な病をテーマにしたものだったが、今回は「視える子」である主人公の「過去の回想」という体裁の物語である。
よって、『蝶塚』とはかなり異なり、ファンタジー要素が強く、また、主人公はとりあえず無事で過去を語れているのだという前提で安心して読める作品である。
-----<以下、ネタバレ>---------------------------------
本作は冒頭に家の見取り図と、周辺地図が掲載されている。
家はとても大きい。
仏間があったり、厠が男女別であるなど時代を感じる(舞台は、昭和後期。田舎の地主の子である)。
四章構成で、まず第一章は主人公が二人(二体)のお稲荷様に名前をつける物語。
辞書から漢字を探し、狐であることを踏まえ、ぴったりな名前をつける。
そのお礼に狐の参列に招かれる、というものだ。
実にファンタジー感溢れるもので、視えないものたちが視える主人公の振る舞い、お稲荷様の古風な言葉遣いの良さ、などが楽しい雰囲気を醸し出す。
が、祭りの後半、楽しくほのぼのでは決してない一面が登場する。
ここが見どころである。
そうした面もすべてひっくるめての祭りなのだ。
第二章は、松と水仙の物語。
植物もまた、心を宿すのだ。
そして重要なのは、松が百年という長さの寿命を持つのに対して、水仙は
一ヵ月も寿命はないということ。
時間の長さが異なる者同士の交わす感情の儚さと尊さがそこにある。
さらにこれは、不老不死を願うのかという問題にもつながる。
どれだけの時間をどのように生きるのか、それを突き付けてくる。
第三章はとある目的から、黄泉平坂へと赴く話。
実質的にこの物語のクライマックスに相当する章である。
章の結末では、一つの大きな決意があり、人は成長する。
それはより多くのものが見えるようになった、ということではない。
視えていたものが視えなくなるということだ。
しかしそれによって、新たに足を踏み出し、新たな世界へと旅立っていくことになる。
第四章はその扉絵からして、ぐっとくるものがある。
この物語は、主人公の過去の回想という形式をとっており、少なくとも主人公は死んでおらず、過去をゆっくり語れる状態であろうという前提が感じられる。
その「過去の回想」という形式が、この第四章において大きく効果を発揮する。
視えていたこと。成長すること。視えなくなったこと。
物語は大きく円を描き、上昇していく。
そして『蝶塚』に続き、表紙カバーを外す楽しみを味わう。
『蝶塚』と『夏休みは時計仕掛け』は雰囲気や方向や違う作品だが、死に対する意識(『蝶塚』の特に弐章と『夏休みは時計仕掛け』の特に二章など)の通底が感じられる。
以上、『夏休みは時計仕掛け』の感想でした。
第三作目の『文化祭限定!? 黒うさ探偵団』の執筆も進んでいるとのことでまた趣向の異なる作品となるようで楽しみです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?