これからの時代を生き抜くための経済学(倉山満、PHP新書)

経済学は面白い、と同時に何とも罪深い学問である。

かつて、自分の知識の無さを痛感し、経済について学ぼうと、地元の宮脇書店の棚を見る日々を過ごしていた私に刺さる本は無かった。

日本経済が大変な事になっていることはうっすらとわかるのだが、テレビの討論番組を観ても、日経新聞を読んでみてもさっぱり分からなかった。

実は経済の知識の必要性を痛感したのは、ロンドンでリーマンショックに遭遇した2008年である。リーマンショックを境に全てが凍りつき、時間が止まり、人々の顔から表情が消えた。

日本に帰国して、テレビをつけると、某女性有名タレントの怪死、年越し派遣村のような暗い世相、にもかかわらず、相変わらずの麻生内閣の無策ぶりに(あまり使いたく無い言葉だが)絶望する日々であった。

歴史の教科書に、大根を齧って飢えをしのぐ東北の農民の子供の写真を見た事があるが、まさにリアルな大恐慌がやってきたのである。

前にも書いた気がするが、改めて言いたいのは、悪夢の民主党と言われるが、麻生内閣の末期からとっくに悪夢だった。皮肉にも野党時代の自民党においてアベノミクスの萌芽があったのである。

リーマンショックと、東日本大震災の対応を巡って迷走に迷走を重ねた民主党が再び下野し、第二次安倍内閣が発足して、日本はいわば持ち直す事になる。

YouTuberのたっくーが述べるように、身に降りかかる問題とか辛い事が、重なって重なって重なりすぎると、ミルフィーユのようになる。まさにそのような日々であった。

本書を読んでいると、「この本を若き日に宮脇書店で、手に取れていれば」と思うと同時に、経済リテラシー、あるいは経済の流れだけでも知っておきたいものだと思う。

本書で倉山氏は言う。

「経済学は確かに、まじめにやれば難しい。しかし、本質を掴むのは、そこまで難しくありません。(中略)

プロのエコノミストになるのならともかく、教養としての経済学を身に着けるにはある程度の割り切りが必要です。」

また、氏は強調する。

「本質をはずしてはならない」

と。

本質を外すと、どうなるか。
詳細は「経済論戦の読み方」(田中秀臣著、講談社現代新書)の「万年危機論者たちの終わらない宴」のような、魑魅魍魎の渦巻く百鬼夜行の如き世界が現出してしまうのである。

と言うわけで、本稿は以上。

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