自己と対峙する女優・広末像

先日、広末さんの不倫について少し考察してみた。

また10代の広末の写真もネットに掲載されている。

先日、キャンドルジュンさんの会見があり全文が報道されている。

いろいろ思うところはあるが、広末の「心が壊れている」とするキャンドルジュンの会見ではからずも明らかになったのは、自己とストイックなまでに対峙する広末の姿であった。

プレッシャーや不条理なことに出くわすと、「何かを書く」という行為を通じて自分の思考を客観的に見つめなおすという行為は、臨床の場でも使われる程有効な手段でもある。幾つかの映画や、ネタの一環で出ていたロバート秋山のYouTube「クリエイターズファイル」で見られる広末は、自分の内面を見つめてきた人特有の、寡黙で落ち着いていながら、不思議なオーラを
放っているようにも思えた。

でも、過度なプレッシャーがかかったりだとか、不条理なことに出くわしたりとかそうなってしまうと、濃い化粧をして派手な格好をして、眠ることができず、常に何かを書いていなければ心が収まらず、誰かに連絡をしたり、豹変(ひょうへん)してしまうんです。

キャンドル・ジュン氏1時間弱に渡り謝罪、平和への思い、家族らへの気遣いなどを訴える/全文

結婚してから何度かそういうことがありました。自分が結婚したからには、もうそんなことはないだろうと思っていましたが、何度かあった際も、事務所は「ひたすら今は我慢するときだ、隠さなければいけない」、家族たちも、彼女が社会的に不条理なことをしていてしまっても黙って見守るしかできない。特に自分や、彼女の事務所の社長よりも、大変だったのは彼女の母だと思います。

キャンドル・ジュン氏1時間弱に渡り謝罪、平和への思い、家族らへの気遣いなどを訴える/全文

化粧で思い出すのは、中島みゆきの「化粧」という曲である。以下に引用する。

(引用)
化粧なんて どうでもいいと思ってきたけれど
せめて 今夜だけでも きれいになりたい
今夜 あたしは あんたに 逢いに ゆくから
最後の最後に 逢いにゆくから
あたしが出した 手紙の束を返してよ
誰かと 二人で 読むのは やめてよ
放り出された昔を 胸に抱えたら
見慣れた夜道を 走って帰る
流れるな 涙 心でとまれ
流れるな 涙 バスが出るまで
(引用終わり)

この曲では、「手紙」を返してほしいという切実な願いが述べられている。この「手紙」というキーワードも今回の一連の報道で、取り沙汰されたのは周知の通りである。

中島みゆきのこの曲が絶大な支持を得るのも、理屈では説明できない感情を歌詞にした点であろう。広末は恐らく制御不可能な自分の感情を言語化しようと葛藤していたのではないだろうか。女優と言う演技の中で本来の自分と違う役割を演じる必要がある彼女にとって、そのような作業が必要であったことは想像がつく。

広末が高知出身といういわば「地方」出身であることも彼女の内面に少なからず影響していると思う。いや、広末くらいの年齢になると、家族や親せきの中にも鬼籍に入る人も出てくる。配偶者も今後、避けられない老年期が訪れた際に本当に添い遂げられる人か、悩んでいたとしてもおかしくない。

鳥羽シェフがそれにあたるかはさておき、写真を拝見する限り、どこかしか「田舎のおっさん」に見えなくもない。広末の中では、やはり、高地に居そうな、田舎の包容力のある、どこか懐かしさの感情を刺激される存在だったのではないだろうか。あと高地、あるいは土佐というと、かつては長曾我部氏が治めた土地であり、妙な独立の気概があり、勝手に好戦的で、武骨なイメージを持っている。土佐は、幕末においては"薩長土肥"の一角を占める雄藩であった。明治以降、「薩長」が日本の近代史を彩っているのを目の当たりにしているのを見ると、そのポテンシャルの高さが垣間見える。また、土佐には闘犬という文化もある。このように白黒はっきりさせる文化背景を持つ高知県民・広末にとって「平和憲法が~、原発が~」とかダルかったのかもしれない。どこか抽象的で理念的なキャンドルに対して、あくまで、即物的な実利を追い求める広末の姿は、対照的である。

前述した中島みゆき「化粧」の歌詞は、「流れるな涙」という繰り返される印象的なフレーズとともに、「バカだね バカだね バカだね 私 愛してほしいと思ってたなんて」という、自己否定的な歌詞へと連なる。

道徳的には間違った形ではあったかもしれないが、広末の魂はいかに救済されるだろうか。

以上。

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