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「人のやりたいことを叶える」ということ ¦= 「人の役に立つ」ということ?

今日は、数分のドキュメンタリーを2本ほどYoutubeにて拝見した。


介護施設で入居者の高齢者の方に向けて、
ホストクラブやキャバクラのイベントを
開催しているという動画だった。
従業員の方がメイクをして小綺麗に整え、
キャストに扮装して高齢者の方とコミュニケーションをとり、優しく寄り添う姿に心が和んだ。

この施設では、高齢者の方に
「何をしたいか?」を訊き、それを叶える取り組みも行っているらしい。とても素敵な環境であり、お仕事だと思う。


少年院から出所し、医師免許を経て街の
お医者さんとして働いている方の動画で
あった。

保護司さんから「俺の死亡診断書を書けるようになれ」とかけられた言葉に応え、その先生は
実行した。他の末期の患者さんにも寄り添い、
その人の「やりたいこと」を訊き、医療での
治療と一緒にそれを叶えることができるように、寄り添ってくれる。素敵な人だ。


私も彼らのように自分の人生や時間を、
人に寄り添うことに、使いたいと思った。



○これら踏まえて考えたこと

「何をしたいか」を訊き、それを叶えるのは
最高のプレゼントであり、最高峰の貢献ではないだろうか。どうだろうか。
やはり自分のエゴの方が勝ってしまうのだろうか。分からない。

私のなりたい像であり、求めている
「人の役に立つこと」は、
「人のやりたいこと」や
「その人が何をしたいのか」
を知ることから、始まるのではないだろうか。

他にも、
「その人に何が必要なのか」
「その人に何があったらより生活が快適に、
  暮らしが便利に、なるのだろうか」
を考える方法もあると思う。

それらを叶えることが、「役に立つこと」の
1つの側面なのではないだろうか。

つまり「その人」や「人」は、
具体的にどんな人なのか? という
ターゲットを定めるべきなのだ、きっと。


○ では「どんな人」であるのか

私は具体的に、こんな人のためになりたい!
救いたい!というのは、特に無い。
とにかく、自分のために貢献したいから、
1人でも多くの人のためになったらいいと思う。
だから、人間が深層心理や本能として
共通して持っている、求めている
「欲求や願望、期待」を叶えるものをテーマにしたら良いのではないだろうか?
つまり、「ニーズ」である。
「世の中の人が今、何を求めているのか」
「何をしたいのか、やりたいのか」
を分析するのである。
どうだろう。しかし大衆をターゲットにしてしまったら、浅いものにならないかが、不安だ。
自分が何を一番に求めているのか、混乱してきた。また自己分析をしなければ。


今日考えたのは、こんなところである。

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