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またしても米国にハメられる日本

ウクライナは何年もかけて準備してきた米国にハメられて今のような状況になっており、武器消費を行うための米国の代理戦争を戦わされて、国民は散々な目に遭っているのだけど、表向きは「侵略者ロシアに対する抵抗闘争である」ことになっていて、それは大変分かりやすく広く受け入れ易い論法で誠に便利な説明だ。もちろん日本のメディアもその論調が主流である。さて一方、日本で目下起きつつあることと言えば、本質は先制攻撃に通じる道である「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と称する、分かり切った欺瞞的な言い換えによって、戦後一貫して保たれてきた専守防衛のポリシーを根本的に書き換えようということだ。これが「何もしない/何もできない」はずの岸田政権による歴史的汚点ともなり得る陥穽へと至る決定である。無能なふりをして行なう「歴史的偉業」である。これはサッカーの日本チームの勝敗に夢中になるくらいの熱心さで注意を向けても損はない時事問題ではなかろうか? チームの勝敗どころか日本の国家の未来を左右するような事態なのであるから。

さて、その専守防衛政策の「書き換え」の本質は「日本が自らの防衛について真剣に向き合い始めた」などということではなく、ウクライナ同様、体良く「米国にハメられた」ということでしかない。これによって、「日本を取り巻く状況」は、いよいよ日本を攻撃できる口実を得たわけであって、防衛力強化が日本を守るのではなく、むしろ戦争を近付け、今日のウクライナのように日本の国土を危険な場所に近付けたに過ぎないのだが、そんな意味でしかない今回の方針転換を肯定的に評価する日本の「保守派」は、いまだに日本に何か自主的・自発的に国防について決定できる余地があるとでも思っているのであろうか?

私自身はいわゆる戦後の「平和憲法」が一方的に押し付けられたものであるという歴史認識に容易に賛同しないが、「押し付けられた」とどうしても考えたい向きに合わせて、そう考えたい人々に言いたいのは、押し付けられたのは、そりゃあ戦争に負けたんだから武装解除されたに過ぎず、当然の帰結、という意味でしかないじゃん、ということなのだが、それによって周辺国はどれだけ安心できたであろうか? おっと断線した。しかし日本がまた武装してもらった方が便利だと考えれば、その武装解除をまたご都合的に「解除」したわけだ。それが自衛隊の前身である警察予備隊の創設だ。このように米国の時の政権によって武装を解除したり再武装させたりというご都合主義に、日本は常に振り回されているだけなのだが、日本にもう少し胆力と外交の手腕があれば、むしろ「押し付けられた憲法」を逆手に取ってそれを護持することがアメリカに「筋を通させ」世界にも通用するような立派な主張になるはずなのだが、その憲法を楯に「押し付けた当人たち」と交渉し、理想を声高に語って〈真の国際社会〉に住む知識人たちを味方に付けられるような強者が日本にはいない。

何度も言うが、理想を語れなくなったら、人類はもはや人間ではないんだぜ。

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