生きるコツ12月10日「無頼派ってようはアル中作家のことじゃねえか」
インフルエンザにかかり、4日目。
大分、楽になった。
ここ最近、酒を控える生活を送っていた。
健康診断で中性脂肪と肝臓の数値が良くない、
「酒の飲みすぎである」と思い切り言われてしまったので
「そうでおまっかあ」としぶしぶながら控えていた。
で、今回のインフルエンザである。
図らずも1週間近くは酒を飲まないという状態もなった。
ああ、一応断りを入れおくと
通常私は360日ぐらいお酒を飲む男なのだ。
酒量として缶ビール350mmを1,2杯に白ワイン、ボトル1本。
そんな感じ。
これぐらい感覚を日々飲み続けていると、
ワインのボトルを1本開けた程度では正直、酔った感覚は薄いのだ。
なので、本当はもっと飲みたいが1本開けたら終了という感じで強制ストップのようなことになっている。
で、こんな生活を長い事やってると
本当にアル中じゃないか?(アルコール中毒)と
自分でも思うこともしばしばだ。
まず、味噌汁を持つお椀の手が震える。
震えすぎて、手に掛かり「アチチ」となる。
レセプションでコップでの乾杯とかが
やばい、手が震えるのである。
で、時々自分が主催したパーティーなど
自分で乾杯の音頭を取らなきゃいけないのに
グラスを持ってる手が震えている、ということもしばしあった。
自宅での作業も多いため、ある時は16時過ぎには飲み始め
25時まで飲んでいるということもしばしばだ。
今日は「休日だから酒が飲める」「仕事をもうひと踏ん張りするために酒を飲む」「今日は運動したから酒を飲む」「今日はやる気がないから酒を飲む」「酒が好きだから酒を飲む」バラクーダの「日本全国酒飲み音頭」ではないが 何かにつけて酒を飲む日々だ。
そんな中、血液検査の結果ね「いい死に方しませんよ」と言われてさすがの私も積極的に早死にはしたくないと酒を控える生活に突入した。
で、仕事での外食の時は仕方ないとして極力家では飲まない生活をここ3週間ぐらいしている。
で、昨日は病みあけでもあり、5日ぶり?に飲んだ気がする。
酒量は白ワインのグラス2杯ぐらい。
これがやはり、びっくりするのが結構、ベロベロになるのである。
人間の体ってのはすごいなと思った。
50過ぎのおっさんなのにうら若き女性のように「もうちょっと酔ってしまいました」と言わんばかりの酔いっぷり、うぶっぷりである。あーこりゃこりゃだ。
あれだけ飲み続けたボトル1本開けようが全然アルコールが足りないと思っていた自分が2杯で結構キツイ状態になっていた。
ここでハタと気付いた。
肉体の回復力のすごさもそうなんだけど
「無頼派」と呼ばれる作家の人たちっているけど。
(坂口安吾さんとか太宰治さんとかね)
いや、この人たちの文のスタイルとか酒を愛するイメージが強いけど
早い話が「アル中作家」じゃねーかよと。
無頼派っていうとどこか「やぶれかぶれ」「堕落と自我の間」みたいなちょっと豪傑さすら感じさせるがなんのことはない。
彼らは「アル中作家」なんだ。
私は50過ぎた今だからはっきりと断言できる。
心が弱いから、酒を断てない作家じゃねえか。
と書いたが、私は別に「心が弱い」ことが悪いとは思っちゃいない。
作家なんて精神的ストリッパーで「心を敏感にしてない」といけない職業だから、「心が弱い」ぐらいがちょうどいい。
がさつで「心の機微が鈍感なやつ」は作家には向いてないのだ。
でも無頼派とは「アル中作家」なのだ。
20年前ぐらい「言い換えはいかん!」という文章が山のようにあった
その代表が「職業安定所、いわゆる職安をハローワーク」に
「売春を援助交際」に「子捨て箱を赤ちゃんポストに」最近の闇バイトもそうだけど。
言い換えると、ちょっと印象が変わるというやつだ。
過去の偉人たちをどこか無盲目的に受け入れてきたが
私も大人になって30年経つ。大人もベテランだ。
かつての偉人達も自分の年齢より下だったりする。
太宰治ダメだったって話は聞くなあ。
走れメロスだって、
借金を返せない自分の話がベースだったりするもんな。
とりあえず、私としても「アル中作家」に逆戻りだけはしないようにしよう。