フェミニズムの視点をもつこと

フェミニストとして書き、訳し、出版する

登壇者

小澤身和子さん(翻訳家)

松田青子さん(作家、翻訳家)

松尾亜紀子さん(エトセトラブックス代表・編集者)

フリアナ・ブリティカ・アルサテさん(CGS研究員・翻訳家)

※以下の内容は筆者個人の見解です。登壇者の発言に関しては、筆者自身のメモをまとめたものなので、正確な意図を汲み取れていない場合がございます。

3/12(土)、ICUジェンダー研究センター主催の、オンラインイベントに参加した。フェミニズムと本を書くこと、訳すこと、出版することについて上記登壇者が対談形式で語るイベントだ。

私は出版業界の人間ではないが、同じく表現の産物を扱う業界にいる。自分も将来、直接的に表現を生み出すことに携わる人間になることを見据えて、そしてこの2年間一番関心を抱いていた「フェミニズム」について生の声を聞きたくてこのイベントに参加した。

豊富なフェミニズムやフェミニズム本の知識をもって対談が繰り広げられた本イベントは非常に楽しく、勉強になるものだった。少なくとも私の身の回りでは日常のなかで友人や知人、家族とフェミニズムの話題を切り出すことはまだまだハードルが高い。何なら自分がフェミニズムに興味を持っていることを打ち明けるのですらかなり抵抗がある。

当たり前のようにフェミニストしかいない空間で交わされる対話の数々は、私にとって非常に貴重で幸福なものだった。

「無意識にジェンダーバイアスがかかっていないか。ジェンダーバイアスがかかっている翻訳がなされていたら、編集者が気をつけて指摘する必要性も」といった小澤さんのお話があって、ああこれは映画や舞台の世界でも同じことが言えるなぁと感じた。ジェンダーバイアスがかかった言動や行動が鑑賞者に与える影響は想像以上に大きいと思うし、何より観ていて辟易する。そのような作品にしてしまわないよう、演出家や監督・プロデューサーは気をつける必要があるのかもしれない。ただ、現在のエンタメ業界にはまだ男社会的な側面があることも否めない。そのような環境からは多様性のある作品が生まれないことも事実。この業界で、松田さんがおっしゃっていた「男性的な尺度に合わせる必要はなく、自分にとっての真実」が貫けるようにするにはどう動くべきなのか模索する必要があるだろう。

また「自分の身体を表現する言葉が存在していない。その言葉の存在を認識していない。」ことに対する危うさも語られていた。確かに、自分の身体のことについてももちろんそうだが、世間にはびこる性差別もそれを言葉として認識することが何より大切だと考える。私が「フェミニズム」という考えを知ったのは、社会人になって世に出てからあまりにもわかりやすい性差が根付いていたことにショックを受け、女性差別に関する本を読み出してからなのだが、勉強をし言葉・考えを学ぶことで、「フェミニズム」を知る以前にも潜在的に存在していた性差を自覚することができたのだ。

今回、出版業界で活躍されるフェミニストの先輩方のお話を聞いて、正直羨ましく思う自分がいた。仕事を通じてフェミニストの横のつながりができていて素晴らしい連帯だと感じるからだ。同じく表現を扱う仕事をしている以上、今回の登壇されていた方々をロールモデルに、私も自分の道を誠実に、謙虚に模索し続けようと思った。

フラワーデモの発起人である松尾亜紀子さんの「出版することはフェミニズムの実践である」という言葉を胸に刻みたい。

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