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きく、聞く、聴く。ついでに菊。

9月9日は重陽の節句です。

昔は宮中ではこの日は菊酒を飲んだり
菊の花を鑑賞したりして楽しみました。

菊に綿を着せてとった露で肌を拭うと
若さが維持されるとも言われています。

菊慈童のお話にもあるように
菊は不老不死をもたらすとされていた花。

高貴さや邪気を払うという菊の香りを楽しむのも
秋の楽しみですね。

リアルに菊が楽しめるのは陰暦9月かな。

「きく」つながりってわけじゃないですけども。

実際こういうお話はよく聞きます。

私も以前
「自分は何をするのにも神さまにお聞きしてやってるので間違わない」
という人の話を聞いて、本当に間違ってないかはともかく
それは本当にええんかいな、と思ったことがあります。

神さまってそんなに事細かく答えてくださるものなのかとか
それは自分の人生を生きてることになるんだろうかとか
いろいろ気にはなったんですけど。

たまにではありますが、同じようなことを時々聞くので
そういう方は結構いるんだなあと思ったことを覚えています。

以前五感はバイアスがかかってて、それは
霊能的な感覚も同じということを書きました。

霊能的な能力を持っている人には
何人かお会いしたことがありますが、
ずっと安定している方はなかなか少なくて
客観的にブレのないようにするため
ものすごい努力が必要らしいということはよくわかります。

こういう能力は本当に今日は良くても
明日もいいかどうかはわかりません。
すばらしい能力の人だと思っても、次に会ったら全然
感じが変わっていたというのもよくあるお話。

こういう能力だけではなく、自分にブレが出てきたとき
正してくれる人の存在はすごく大切です。

そういう時お師匠さまや指導してくださる人がいると
すごくありがたいのですが、そういう方たちも人ですので
いつまでもそばにいてくださることはできません。

それでも友人や仲間、家族といった周囲の人たちが
いてくれれば正してもらえるチャンスはあります。

人間というのは不思議なもので、なんだかわからなくても
その人がおかしなことになってる時は察知するもの。
親しい人ならなおさらです。

指摘されたその時に
聞く耳を持っていることは本当に重要です。

正しい意見ほど耳には痛いもの。
たとえ一旦は反発しても、その言葉を聴き入れて
自分を修正できる柔軟性は意識して持っておく必要があります。

その時はわからなくても、しばらく経ってからでも
気づいた時に修正することを恐れないほうがいいようです。

人の意見を聴き入れることと自分の信念を保つことは
相反するものではありませんが
バランスを取るのはけっこう難しくて、
常に工夫したり検証したり注意したりしておかなくては
ならない手間のかかることではあります。

手間がかかるからといってそのことを回避するのは
手間がかかるものに手間をかけるからこそ得られる果実を
みすみす投げ捨てるようなもの。

謙虚さと素直さと自分の人生の細部までに渡る愛情とがあれば、
どのような場合も大きく道を踏み誤ることはないでしょう。

どのような能力や力も、振り回されるのではなく
使いこなせるようにならなくてはなりません。

他の何かに自分の人生を振り回されているのでは
せっかく生まれた甲斐がありません。

人は能力によって神に近づくのではなく、
本質を現していくことで
自分が神の分け御霊であること、
如来と同じ質を持っていることに気づくのだと思います。

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