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よりよい願いを持つということ。

買い物に出ると、だいたい地物野菜のコーナーをまず見ます。
今回はうすいえんどうをゲット。
豆ごはんを炊くことにしました。

しかし、豆ごはんの時期って、自分の中では5月ごろ。
確かに春の味覚ではあるのですが、
最近いろいろと出てくるのが早い気がします。

ふきのとうとかタラノメとか、山椒の実とからっきょうとか、
その時期を逃すと買えないアイテムってありますが、
どうもそのタイミングが昔とは違う。

地球温暖化とかいろいろな要素はあると思うのですが、
たいして長くもない年月の中で、旬の時期が変わるのって
どういうことなんだろうなと思ったりします。

たかだか数十年の間にも変わるものがあるのですが、
伝統宗教は千年以上の歴史があり
この長い期間の中で変わるもの変わらないもの
いろいろな出来事を経て生き残って来ているわけです。

伝統の強さというのは、
昔から変わらない真髄となるもの、
思いを込めて作り続けられて来たたくさんの形、
それを守り続けて来た多くの人々の思い
生き続けているものとするべく参画した人々の努力
そういったもので出来ています。

昔からの形や、入れ物も大切ですが、
それを生かすのは人。

現在生きている人がその器に生き生きとしたものを盛り
そのことで昔からの智慧を今に活用できるようにしています。

有史以来、いろんな出来事や考え方があって、
当時は正しいとされて来たこと、
その場所では正当と思われていたこと、
この考え方こそが正統とされていたこと、
それは時代の流れによって変化しています。

ほんの千年前までは、日々の食べ物にも事欠く人がほとんどでした。
ほんの数百年前までは、戦乱や疫病で子供やお年寄りや弱い人が
簡単に死んで行くのが当たり前でした。
百年前には女性にはいろんな権利が認められていないことが当然でした。
数十年前でも、集団のために個人が犠牲になるのはよくあることでした。

脅かされずに生きて行くこと、
盗んだり殺したりしなくても生きていける社会、
衣食住にもひどく困ることはなく、
好きなところに引っ越して、好きな勉強が出来て、
好きな人と結婚して、職業を選べて。

千年前、数百年前、数十年前の人たちが描いた理想に近い世界に
私たちは生きています。

もちろん世界じゅうどこでも同じではなく、
いろいろな苦しみの中にある人たちはまだまだいますが。

でも、少なくとも、昔生きていた人たちが願ったことは
けっこう叶って来たのです。

だから、世界にとってより良い願いを持つことには意味がある。

密教においてそれを象徴するのは五鈷杵。
決して後戻りすることのない、よいものであり続けるという
堅い意志を表しています。
もちろん、さとりの智慧を完成させて仏となり
この世界をよいものにし続けていくために。

別に仏教や密教でなくてもいいのですけど、
心の中にダイヤモンドのように輝く、硬く素晴らしい願い
世界のためになるよい願いを抱いて生きましょう。
多分それは、未来の世界を作るものだから。

もちろん、仏教や密教に組していただけるなら、
何よりの喜びというものですけど。

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