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高野山の四所明神さま。

ますます暑いですね。
でも今年はその暑さもなんというか普通。
数年前みたいに連日39度とか40度越えとかいう
信じがたい数字が出てこないだけでもありがたいことです。

去年コロナが流行り始めて、世界中のいろんなところで
自然環境の状態が改善したという話がニュースになっていたりしましたが、
もしかしてこれもその一環なのかな?と思ったりします。

そういえばこういう系のニュース、その後聞きませんけど
どうなってるんだろうか?

以前壇上伽藍の御社のお話をしたことがありますが。

さらっと書いてますけど、御社にお祀りされているのは
四所明神さま。

丹生都比売さま、高野明神さまに加えて、
気比明神さま、厳島明神さまの四柱となっています。

高野山の地主神である丹生都比売さまと高野明神さまは
ともかく、気比と厳島の明神さまがなぜここに?
と思われるのですけど、これは高野山と平氏との関わりに
よるもののようです。

鳥羽上皇が金堂と大塔の再建と修理を命じられ、高野山に
代官として平清盛が入りそのために尽力します。

有名な血曼荼羅、胎蔵界大日如来の宝冠を自分の
額の血を混ぜて描いたというものですが、これもこの頃
清盛によって金堂に奉納されたもの。

あ、そういえば以前ご紹介した霊宝館での100周年記念の
「高野山の名宝展」。

清盛の血曼荼羅は今期展示中ですよ!

平家物語の中に清盛が大塔の修理を終え
奥の院にお参りした時の話があります。
清盛は老僧に出会い、いろいろ話しているうちに次のような
ことを言われます。

「大塔は修理できた。
 だが越前の気比の宮と安芸の厳島は両界の垂迹なのだが、
 気比は栄えているが厳島は廃れている。
 この厳島をなんとか修理してもらえるよう計らったなら
 空前絶後の出世ができるんだけどなあ」

この老僧はなんだか良い香りがしてしかもその後
急に消え失せたので清盛は「きっと弘法大師に違いない」
と思うわけなんですが、ここで気比と厳島が出てくるのですね。

清盛はこの後、保元・平治の乱に勝利して
瀬戸内海航路を押さえ、海外進出を目指すわけですが、
厳島神社はこの瀬戸内海航路の要衝に位置します。

また厳島の祭神は海の安全を守られる方でもあるので
守護神になっていただければ大変心強い。
その周辺にいる神社を崇敬している人たちのバックアップが
得られるというのも大きな利点です。

また厳島のある宮島の弥山はお大師さまが開山したと
されており、この地の盛衰を気にかける縁があります。
しかも厳島の神主家は佐伯氏。お大師さまの本姓も佐伯ですが
何らかの関わりがあったということも考えられます。

じゃ気比はなんで?というと、
清盛の父平忠盛が越前の国司だったことがあり、
気比の神さまは日本海の海の安全を守られる方。
忠盛は日宋貿易によって経済的基盤を強化した方でもあります。
この辺がどうもこの説話によって結びついてるようなのですね。

今は当たり前のように四所明神として拝まれていますが、
実はいろんな関わり合いの中から現在の形に作り上げられてきました。

そういう歴史の色々を思いながらお参りするのも楽しみの一つ。
伽藍で御社にお参りしたら、ぜひ霊宝館にも寄って血曼荼羅もみて
清盛公のことにも思いを馳せてくださいね。

ちなみにいまの大塔は昭和9年に再建されたもので、
残念ながら清盛公が建てられたものではないです。

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