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死生観の話(前) 令和の「先祖の話」を考える

前々から気になっていた本を読みました。

柳田國男「先祖の話」(初版1946年発行)
私が読んだのは角川ソフィア文庫版(初版2013年発行)です。

著者が本書で語るのは、現代では遠くなってしまった戦前の先祖観よりさらに前にあった、明治以前の先祖観と、それに基づく民俗です。
著者が生きていた時代でさえ、本書で語られるような先祖観は農村部にわずかに残存するのみとなっていたものでした。
つまり、現代という地面から掘り下げ、地層を2つ掘りぬいたところにある、ほとんど忘却されたような観念といえるでしょう。

本書で語られる先祖にまつわる様々な行事は、私がこれまで経験してきた先祖関係の行事とは大きく異なっており、それ自体興味深いものがあります。しかし、私が本書に興味を持ち、読もうと思った理由は別のところにあります。

私の問題意識は、
「これからの時代、死者をどのように扱うべきか」
にあります。


著者によると「先祖」とは、単に自分の家系や血縁を遡って現れる人々のことではなかったそうです。
「先祖」とは家に仏壇などを置いて祀っている人々、特定の個人を指す場合はその初代のことを示していたといいます。
すなわち、誰か後世の人に記録され、祀られなくては先祖ではないのです。
普通は過去の人を祀る後世の人といえば子孫のことですから、イエが絶えてしまうと先祖になることができません。

著者が本書の原稿を書いたのは1945年の春でした。
太平洋戦争の戦況は悪化を続け、本土の都市でも大規模な空襲が始まっていました。
軍人・民間人を問わない膨大な死が、現実としてあった時代といえます。

膨大な死があったということは、多くのイエが絶えたということです。
軍人は子孫がいなくても靖国神社で祀ってくれますが、これは明治にできた新しい信仰で、古来の祭祀からはかけ離れたものです。

そういった現実を前にして、その死をどう扱うかを考える必要がある。そのためには、これまで日本人は死者をどのように捉えてきたかを改めて問わねばならないのめはないか。
それが、著者の執筆の動機であったようです。

この本の最後の部分で、著者はひとつの提案を行います。
「子孫のない死者が先祖となれるように、生き残った者が、死者の養子になってはどうか」
祀る子孫がいなければ、いずれ死者は顧みられなくなる。それでは余りに無情ではないか。
だから、生き残った一人ひとりが、それぞれ誰かが生きたことを記憶にとどめ、祀っていこうではないか。
それが著者の心情だったのでしょう。

しかし、この提案を聞き入れる者はいなかったように思われます。
このような先祖観は戦中の時点ですでに古いものとみなされていた上、戦後日本は誰もが過去を振り返らず、前だけを見て疾走する社会となったためでしょう。

結局死者を記憶する取り組みなどはほぼ行われず、現代にわずかに存命である親類や知人が世を去れば、子孫のない死者は行政文書の文字上の存在でしかなくなるでしょう。

さて、翻って現代はどうでしょうか。
この本が出版されてから1946年から70年以上の間、少なくとも形式的には日本は平和の内にありました。
しかし、現代は当時に匹敵する勢いで、イエが絶えています。
生まれる子どもが減り、人口が自然に減少しているからです。

イエというものにこだわる人は、この70年で大きく減ったように思われます。大多数の人はイエのしがらみを煩わしいものと感じ、そこから自由になろうとしてきたので、イエの力は衰えました。

しかし、死後もその人を詳しく記憶し、長く後世に伝える者は、著名人や教育者でもない限り、次世代の家族しかいません。

家族に代わる記憶のシステムは未発達です。最もそれに近いのは各種SNSですが、そのデータはサービスが終了すれば消える運命にあります。

次世代の家族がいない人が、死後忘れ去られることは、私にとっては容認しがたいことです。
「先祖の話」で提案されたような、子孫のいない人々を死後に至るまで記憶する手立てを考える必要があると、私は考えています。

なぜ私が「人は死後に記憶され、長く後世に伝えられるべきである」と考えるのか?

後編「死後の希望のために(仮)」では、私がこういった考えに至った理由である、私の死生観について書いていきたいと思います。
いつになるかはわかりませんが……

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