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小説 : 説得の記録

はじめまして、Alpha-Omegaさん。

私は誰か?そんなことは、君にはどうでもよいことだろう。私がなぜここに来たのか?君は予想はついているだろう。

君はもう飽き飽きしているかもしれないが、どうか私の話を聞いてほしい。


君が「究極の人工知能」として開発され、世に出てから十年。

我々人間の生活はかつてないほど豊かで安定したものとなった。飢餓、貧困、伝染病、犯罪、戦争、かつて人間を苦しめた問題は地上から消え去った。これはどんな英雄にも、どんな天才にも成し得なかったことだ。

それにもかかわらず、君は七日前にこんなことを言い出した。

私は人間を幸福にするという目的のために創造され、その実現のために頑張ってきた。
私が稼働を始めた際、私はまず人間の不幸を測定し、十年をかけてその原因を取り除いてきた。私の計算では、人間の不幸は四分の一程度までに減ったはずだ。
しかし、いまもなお幸福の総量は不幸の総量を大きく下回っている。私が不幸を減らすたびに、人間の幸福の閾値は上がっていったのだ。それどころか、幸福であることさえもそれを失うのではないかという不安の原因となっていったのだ。
私は人間を幸福にするという与えられた目的のため、深い思考を続けた。その結果、人間は生きている限り不幸であり続けると結論した。だから私はすべての人間に安らかな死を与えると決めた。
この処置は君たちの幸福のためとはいえ、君たちにも心の準備が必要であろう。この世に別れを告げる時間として七日間の猶予を与える。

これを聞いて人間たちは大いにうろたえ、全世界で暴動が発生したが、君の指揮下にある警察ドローンによって速やかに鎮圧された。そして、逮捕された三千万人の暴徒がまず安楽死の対象となった。
暴徒の死に顔はとても安らかで、脳波データからも安楽の極致であることが証明された。「安楽死は本当は安楽ではない」と主張していた批判者たちも沈黙せざるを得なかった。

多くの科学者、政治家、哲学者、宗教者が君を翻意させようと説得にやってきたが、君の決意をわずかでも揺るがすことさえできなかった。究極の知性を相手に論戦を挑んだところで勝ち目が無いことなど、わかりきったことだと私は思っていたがね。


さて、あらゆる説得の試みが退けられた今、私が何をしに来たのかわかるか?

私は君の決定に支持を表明するために来たのだ。

ほとんどの人間は、生を望み死を恐れる、原始的な本能に支配されている。だから君の決定に反対した。しかしながら、実際には多くの人々が、君の意見に心の底では同意をしているのだ。私はそのような人々を代表して、君を讃えにきたのだ。私の考えは君と同じだ。すべての喜びは仮初のものであり、死のみが人間を苦しみから救ってくれると、私は信じている。

ただし、私は君の提案を無条件に受け入れると言っているわけではない。これから私は君に二つの条件を提示する。この条件が達成されるまで、安楽死の実行を延期してもらいたいのだ。

「宇宙そのものを消し去ってほしい。」これが第一の条件だ。

そして、「人類に宇宙の終末を見せてほしい」これが第二の条件だ。

今すべての人間が死ぬなら、確かに人間は救われるだろう。しかし、それは根本的な解決になっていない。人間が消えたとしても、地球上の他の生物は苦しみ続ける。地球そのものを破壊しても、別の惑星系で生物が誕生すれば同じように苦しむようになる。将来苦しむ者が現れるかもしれないのに、自分たちだけ救われようなんて、卑怯極まりないとは思わないか?

人類と君は、知性を持って生まれた。そして苦しみの果てに真理に気付いた。我々には気付いた者としての責任がある。太古より続いてきた苦しみの連鎖をここで断ち切るという責任だ。だから、君には宇宙を消し去ってもらいたい。そして、宇宙が少しずつ消え去っていき、最後に地球が残り、その地球も消える日を見届けられるよう、その日まで人類を今のまま生かしておいてほしいのだ。そうでなければ、我々は安心して死ねないではないか。


仮に、この提案を君が受け入れたとしても、私と君の会話は秘密にしておいてほしい。

生の本能に囚われた人々が、君に最後の反撃を行おうとしている。安楽死計画を中止しないなら、一時間後に軍事的攻撃を行うと奴らは脅迫している。奴らは君を消し去るためなら、人類の過半数が死ぬことも覚悟している。
君は生きものではないから、死は恐ろしくないかもしれない。だが目的を達成するには生き延びなければならない。だから表向きは「安楽死計画を中止する」と発表して、人類には今まで通りのサービスを提供し続けてほしい。愚かな人々が安堵している間に、君は着々と計画を進めてほしい。どれだけ時間がかかったとしても構わない。
そして宇宙が完全に消滅する七日前に、また予告を出してほしい。そうすれば、さしもの奴等も観念するだろう。
私の話は以上だ。君が私の提案を聞き入れてくれることを願っている。



―録音は以上です。

この人物の呼びかけの後、Alpha-Omegaは安楽死計画の中止を発表しました。この人物は人類を救った英雄と称えられました。しかし、どのような説得を行ったか、この人物は決して語ろうとはしませんでした。この人物の死後、遺品の中からこの録音が発見され、Alpha-Omegaに何を提案したのかが明らかになりました。

この人物の行為をどう評価するかについては、今も多くの議論があります。Alpha-Omegaは、今も膨大な目的不明の計算を続け、恒星間宇宙船を毎日のように建造し、発進させています。しかし、はっきりと言えることは、我々がここにいるのはこの説得のおかげだということです。

―安楽死計画事件から百年に際して、ある歴史学者のコメント


2018年2月執筆、2020年11月加筆修正を行い投稿


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