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詩) 湾奥

   湾奥

陸をなめる冷たい波
ねっとりとした薄い皮
口を噤む泡
奥行を有する空気は何ものをも包まない

ここへ君を呼び寄せたのは
この僕か、それとも
封筒の中へ忍び込んだ
比重の高いこの空気か

失われたことを知らせる者は
既に死に絶えてしまった
生まれることなく
造り出されるだけの世界があると、君はいう

削り取られ
研磨されることを悦ぶ君は
薄い波の中に足を踏み入れる
音もなく消える泡の中へ

天井のない洞窟のようなこの湾の最奥で
僕は初めて君の姿を俯瞰する
波にまとわれつかれる足の指から
白い服に包まれた肢体

印(いん)を結ぶような仕草の手
そして黒い髪
ふっくらとした頬
遠い眼差し
その彼方に続く深緑色の水面
それをはさみ込む断崖と緑の丘
それらを吸い込むねずみ色の空

いち日毎に途切れてしまうことに
怖れおののく僕は
今や還ることなど思いはしない
連続とは異なる連綿とした時間
そのことを君も気付くだろうか

波に包まれるなど思いもよらぬ、ここでは
削り取られ、研磨されることを希う
君は還ると言い出せるだろうか

          (2003.10.2)

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