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詩) 父より

     父より

私が歩んできた道の途中には
勿論、様々なものがあったにはあった
けれども
生活というもの・・・
生活というものは
ただ果てしのないものだった

生きる目的というものに
私は常に何かを据えてきたことは確かだった
けれども
生きるということ・・・
生きるということは
ただ果てしのないものだった

喜びや哀しみに笑ったり泣いたり
そんなこともあったにはあった
けれども
感情というもの・・・
感情というものは
常に私の生とは別な次元で起伏していたに過ぎなかった

私が歩んできた道の途中には
勿論、様々な人間が居たには居た
けれども
心の交流というもの・・・
ふれあいというものは
結局は全て己対己のものでしかなかったのだ

私が歩いてきたうちには
勿論、心から愛するものがあったにはあった
けれども
愛というもの・・・
愛というものは
結局は純粋なものでは決してありえなかった

私が御前に引き継ぎたいもの
勿論、それは多々あるのだ
けれども
父というもの・・・
父というものは
結局は隣人でしかありえないのだ

こんなことを書き連ねたとて
私は決して全てに諦めているのではない
ただ現在(いま)、この父が立っているこの場所―――
その足元を御前にさらしているのだ
私は現在も歩いているし
これからも歩き続けてゆくのだ

そして御前も歩いてゆくのだ
今のところはお互いの姿は見えるが
歩いてゆくうちには
互いの姿を見失うことにもなるだろう、しかし
ひるんではならない
御前はおまえ自身の爪先を見るのだ

私が求めてやまないもの
それは感じることの哀しみと幸福だ
それがたとえ私自身の生と遊離したとしても
それはそれでやむを得ないと思っている
私は誤っているのかも知れない
しかし私はこの道をどこまでも歩いてみたいのだ、どこまでも・・・

御前がこれからゆく道
そこには初めは多くの分岐点が連続して現れるだろう、しかし
ひるむことはない
誤りを知ったら後退することに恥はないのだ
ひるまずに歩むがいい
ひたすら歩くのだ、捜すのだ

私に見える限り御前を見守っている
しかし、父であっても私は己の道を御前のために変えるわけにはいかない
御前は御前自身の道を歩むがいい
たとえ私を見失ってもひるむことはない
人は常に独りであって、かつ一人ではないのだ
歩き続けるのだ
ひたすら歩き、捜すのだ

          (1990.1.30)

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