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人のせいにしない方が楽ちん

自分らしく生きたいだけなのに、なんだかしんどいな。

そう感じるときには、だいたいいつも外側に視線が向いている時だったように思う。今でも、そうなってしまう事はあるけれど、自分らしさを意識しないほど楽にうまく自分と付き合っていると思う。

外側を気にしてる時は、人目や他人の評価を気にしている時で、自分に集中していない時でもある。といろいろやってきて思う。

ある人が話していたのは、仕事をやめてフリーランスになってもちろん大変なことばかりだけれど、変なストレスがなくなった。誰かがなになにしてくれないから進まないとか、やりたくても上がOKをくれるかわからないので待つしかないとか、自分以外の何かに左右されることがなくなって、責任もやることも重いけれど、なんだかとても軽くなった。と。

つまり、人のせいにしない方がシンプルで楽ちん。

自分はどうだったかと振り返ると、私はその域になるまで七転八倒ずいぶん悩んだ。自分らしくいたいのにうまくいかず、もがいていた時期でもある。退職して自分で仕事をする。と決めた時には、もう器の小さい上司の下で働かなくていいんだと思うと、先の不安よりも心は晴れやかで軽かった。

けれどまた、自分らしく生きるとはの壁はやってくる。そもそも、覚悟も自己肯定感も低いまま、雇われ守られふわふわマインドのままだったから、それはそうなるよね、と今ならよくわかる。そこから私の、本当の自立のはじまり。自分らしくいたいのに、うまくいかずもがいていた時期でもある。まぁ簡単に言えば、考えが子供だったのだ。

彼女のように、大変でも自分で何でもやる方が納得できる。とは思えなかった。こんなにいろんなことを一人でやらなくちゃいけないの?!と新しいことと苦手なことばかりで、こなすのがやっとだった。

甘くはなかったよね、ひとりでやるってことは。

うまくいかないと、無意識にうまくいかない理由を相手や何かが足りないせいにしてイライラしていた。そんなエネルギーでやっていれば、何をやってもうまくいかない。今ならわかることだけど、私は頑張ってるのにどうして?と怒ってばかりいた。それは、自分自身への苛立ちだったのだ。
私にとっては修行時代。

自分の内側と対話できるようになると、とても楽になる。
誰かや何かに求めることもなくなり、怒ることもなくなる。
あんなに苛立ちストレスをためていたのが不思議なくらい、内側は凪いでいる。

数えきれない失敗をしてきて、いまは穏やかで楽ちんで楽しい。
新しいことをする時は、いまでも大変だけれど、「さあどうする?」自分という相棒に声をかけていくと、何とかできてしまう。

自分らしくいるには、自由だけれど自分の生き方への責任もある。けれど、誰かや何かのせいにして、よくわからない自分以外の人生を生きるより、下手でも失敗しても自分が納得できるはず。

それに、いいことはほかにもあって、何とかしようと気負わなくなって、自分らしくやっているうちに、応援してくれる人と出会うようになった。求めなくなると求めなくても集まる法則だ。

外側に求めすぎるのは、自分自身と繋がっていないからアンカーが降りていない。つまり軸がぐらぐらだから、なにをやっても集中できないだけ。


人のせいにしない方が楽ちんなのは、自分らしく生きているから。

自分自身が自分の一番の理解者でバディでいることだし、自分はどう生きるか、あり方を決めるだけなんじゃないかな。

人のせいにせずに自分と共に生きる方が、楽ちんでしあわせだと私は思う。
いつものように、とりとめもない話になってしまったけれど。

掬乃ジュンコ

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