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”明日からやる”という言葉は辞書にない。『土木技術の自立をきずいた指導者たち 井上勝・古市公威・沖野忠雄・田辺朔郎・広井勇』

土木の歴史絵本第4巻。明治政府は、外国人に頼るだけでなく、土木の技術者を育成するため優秀な青年を選んで欧米に留学させ、次の指導者になるように努めました。その代表的な5人の功績を紹介しています。

いよいよシリーズ4冊目。日本人が近代的な土木技術を確立していくシーンまでやってきた。新年の抱負を問われれば「明日からやる」と答えるなんてもってのほか、ここに登場する5人は1時間でも勉強を怠れば、日本の発展はそれだけ遅れると考え、努力し、学び、知識をいかして活躍した。正月早々、引け目しか感じない偉い人たちに囲まれてしまった。明治という時代はどの分野でも、貪欲に学び、学ぶ喜びがひしひしと伝わってくる。

のちに鉄道の父と呼ばれる、井上勝。日本人だけの力による「逢坂山トンネル」を完成させ、土木技術者に大きな自信を与えた。大小の問題を広い立場から判断、処理し日本の鉄道の基礎を作った。鉄道レールの変遷図に描かれる断面が、橋脚の形に似ていて興味深い。

総合工学の古市公威と河川工学の沖野忠雄は同じ年に生まれ、学歴もよく似た秀才二人。古市はつぎつぎ国の大事な仕事につき華やかな道のりを、沖野は現場をささえる地味な道のりを歩んだと対照的に描かれている。もっとも、沖野さんは38年間で全国にわたり港80、河川100の工事にかかわっていたそうなので、ぜんぜん地味ではない。むしろ現場で指揮をとる姿こそ花形に感じる。

独創と決断の田辺朔郎。首都が東京にかわったあとの衰退していく京都をよみがえらせた。琵琶湖と京都を結び製粉や精米など産業の動力として水路を作る計画であったが、工事中アメリカの水力発電の情報をキャッチするやいなや渡米し、水力発電の有効性をみぬき、日本へ戻る移動中に、新しい計画をたて変更。発電所を作ることにしたという。なんたる実行力。京都でそんなイレギュラーなことができるなんて。この人は鋼のメンタルだったに違いない。今も残る田辺デザインの石積み橋。山村美紗サスペンスでおなじみの南禅寺水路閣は、そもそも作られた経緯からサスペンスだったということか。

港湾工事の広井勇。自費でアメリカにわたる。橋桁設計技術を学び、その内容をまとめ、ニューヨークで出版。その本はアメリカで教科書にもなったという。日本人の手による初めての港湾調査、計画、設計でコンクリートを用いた本格的な港湾工事を行った小樽港。彼は晩年「工学によって忙しくなるなら何の意味もない、一日の仕事を短い時間にできて、人生に余裕を与えるものじゃなきゃだめだ」という風に語っている。でもね、広井さん。あなた絶対めちゃめちゃ働いていたでしょう!

勤勉さだけではなく、経験を積み重ね、困難な問題を判断、決断し、常に自分を磨き、周りの人からもリスペクトされる。そんな人おるかーい!それが、彼らが指導者たる所以。爪の垢を煎じて飲むことはできないから、せめて本を読んで気を引き締めよう。明日から…。

『土木技術の自立をきずいた指導者たち 井上勝・古市公威・沖野忠雄・田辺朔郎・広井勇』|かこさとし 作|瑞雲舎


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