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武将のみなさん、てっきり戦だけにうつつをぬかしているのだと思っていました。ごめんなさい。『川を治め水と戦った武将たち 武田信玄・豊臣秀吉・加藤清正』

いまからおよそ400から500年前、互いに領土をめぐって争っていた戦国時代、城や道をつくり、堤防を築き橋をかける仕事は、普請(ふしん)とよばれていました。侍たちは攻撃に備える一方で、自然や国をおさめ、民の生活をまもることにも力をそそいでいました。

華やかな築城、短時間で築いたエピソード、こんな大きな石をどうやって運ばせたんだろう。水責めとは考えたな!なんて、なんとなく知ったつもりでいたけれど、それってまさしく土木技術のこと。まったくもってノーマーク。大河ドラマも目をハートにして俳優さんをみているだけだった。これは、歴史ドラマは土木についてさらっと描きすぎ問題に起因するに違いない!(人のせい)。土木シーンもうちょっと多くてもいいんじゃないかしら?え、描いてる?見てなかったです。まったく気にしてなかったです。

武田信玄は動く水の観察をして、「人の力ではなく、自然の大きな力をかりて川をしずめてゆく」と考えた。豊臣秀吉は段取り名人。天候、地形などの条件を考えて、人や材料を必要な場所に、必要な時間にとどける運搬の準備を行った。物流と戦略はアメリカのイメージだった。秀吉さんもやってはったとは。加藤清正は10年間で多くの工事をおこなった。熊本の町づくり、たくさん工事に工夫をした。「石ばね」「くつわとも」「乗越堤」「清正石垣」「石塘堰」など。ほとんどピンとこないけれど、絵をみると、ほほぅ。なるほど、うまいこといけそうだということがわかる。

この30数ページのなかに、調べたくなる言葉があちこちに散らばっている。というか、知らない言葉だらけ。漢字もいくつか初めまして。日本史はあまり好きではなかったから、興味がなかったけれど、今なら真面目に授業を聴けそう。土木ネタを聞かせてくれたらの話だけれど。自由研究のネタの宝庫。この本に出会っていれば、小学生時代の夏休みは毎年安泰だったろうな。惜しいことをした。出版年にはすでに大人だったけれども。

◎いってみたい場所 信玄堤|巨椋池(いまは池はない)|馬場楠はなぐり|熊本城

◎聖牛(ひじりうし・せいぎゅう)川の激しい流れを弱めるしくみ。先日、狭山池博物館で模型?写真だったかな?をみた。なるほどそういうことか。一致。

川を治め水と戦った武将たち 武田信玄・豊臣秀吉・加藤清正|作:かこさとし|瑞雲舎|2004年7月


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