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平凡な日々、繰り返される日々にも意味はあるよ

僕らは気を抜くと、一日が一瞬で過ぎ去っていく。気づけば、1週間、1ヶ月と過ぎていく。そんな日々を送ると、人生の意味を見いだしづらくなるかもしれない。

ジム・ジャームッシュ監督映画「パターソン」は、モノクロに見える世界に彩りを取り戻させてくれる。

あるバス運転手の日常

主人公は、アメリカ、ニュージャージー州のパターソンで、バスの運転手として生計を立てている男。彼の名も、州と同じ名前パターソン。白黒の幾何学模様が好きな妻 ローラと愛犬のブルドッグ マーヴィンと暮らしている。趣味は詩を書くことで、秘密のノートにこっそりと自分の作品をためている。

パターソンの生活は規則正しい。朝6時過ぎに起きて、朝食はいつもシリアル。ローラお手製のお弁当を持ち、仕事へ向かう。バスの中の会話に時折耳をそばだてて、笑みを浮かべる。昼食は鉄橋と滝が見える休憩所。夜はマーヴィンの散歩がてらバーへ。マスターやお客さんと会話を交わし、ビールを飲んで一日が終わる。

映画はパターソンの1週間の暮らしを追体験するように進んでいく。一見、何の変化もない生活に見えるが、決まったリズムの中に、たくさんの変数があふれている。4拍子ですすんでるんだけど、気づかないところで変拍子が入るような。

乗ってくるお客さんや、そこで交わされる会話、お弁当についてくるローラ手作りのカップケーキの模様も様々だ。家に帰れば、「カップケーキをマーケットで販売できるようになったの」「今日はバスルームのカーテンに模様を描いたのよ」「新しく買ったギターを練習したの。聴いてちょうだい」と、ローラが決まった毎日に、微細な変化をもたらしてくれる。バーにいけば、元彼に言い寄られ続ける客やお金を返してと詰められるマスターなど、何かしらの小さい出来事が起きる。

事実に意味をつけて、物語にする

そんな日々の小さな変化や発見に意味を与える道具として出てくるのが、パターソンの詠む詩だ。物語はダイニングテー部の上に置いてある青いマッチ箱の詩を詠むところから始まる。青いマッチで愛する人の煙草に火をつけたら、どんなに良いだろうか、と彼は綴る。毎日一つづつ、詩を詠み、自分の見える世界を言葉に落としていく。

彼は詩を決して公にすることはない。ローラから「あなたの詩は素敵だから絶対に外に出した方がいいわ」と言われても、かたくなに断る。彼にとっての詩は誰かのためのものではなく、自分の世界を作るものだから。詩を詠むことで、平凡な現実に非凡のエッセンスを加える。日常に意味が生まれる。

この映画の世界では、世界を変える大きな事件は起きない。町の外ではいろいろなことが起きているのかもしれないが、それが示唆されることもない。自分の半径数キロメートルの中で、ゆっくりと、だけど確実に時間が流れていく。そこには、確かな幸せが存在する。

すべての物事に意味は見いだせる

日々、めまぐるしく、わかりやすい変化の渦中に居続けでもしない限り、気を抜くと日々の生活が色褪せて見える時があるだろう。目の前の目標に追われていると、数字ばかりに目が向いて、気づけば1週間が終わっていた、なんてこともある。

でも、一見繰り返しの日々に見える生活も、少しの努力でちょっとした変化を与えられる。例えば、毎日行くカフェがあるとして、そこで出されるコーヒー豆の違いを意識を向けてみる。いつもと違う道で駅まで歩いてみる。音楽を聴くのをやめて、パターソンのように同じ空間にいる人の会話に耳を傾けてみる。

人生100年時代っていわれているけど、今28歳の僕が100歳まで生きるとしても60万時間くらいしかない。こうして記事を書いている間にも、時間は過ぎている。同じ時間を過ごすのならば、小さい変化に気づけるようになるほうが、少しだけ人生が楽しくなるような気もしている。

もし、ちょっと今疲れてるかも、って思う人がいたら、すっと「パターソン」をオススメしたいと思うのだ。

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