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ムダなものこそ人を作る

京都大学の名物お土産に「素数ものさし」というものがある。

これは、素数(1とその数字以外では割り切れない数字のこと。1,3,7,11など)のみがメモリとして刻まれている定規で、よく考えなくても使いにくい定規だ。

実用性という面でみた時、買う価値などどこにもない。

ところが、僕はその無駄というか、一般的に見たら何の価値も無いところに逆にとてつもない価値を感じてしまった。「京大らしい〜」と興奮すらしてしまった。この定規の存在一つで「京大らしさ」を醸し出してしまうあたり、既にモノとしての価値が生まれている気もする。

では、なぜこのような商品が生まれたのか。

この定規を作ったのは不便益システム研究所というところで、日常にある「不便だからこそ、逆に良かったもの」を追求している団体で、「不便だけど、逆に良い」に対する偏愛がこの商品を生み出したのだ。実際、「素数ものさし」は小学校で素数について教えるときに使われていたりするそうだ。

一見不便に思えることや無駄に思える時間も、見方を変えれば価値が生まれる。

それをよく表しているのが、フランスにある「MIWA」という日本の伝統礼法をサービスとして提供している高級クラブだ。入会金だけで1000ユーロかかるこの「MIWA」では、会員がプレゼントしたいものを「折形」と呼ばれる日本古来のラッピング方法で包んでくれる。

ラッピングをするまでには、限界で手水をするところから始めり、伝統的な手順を踏まなければならない。また、「折形」を行うカウンターは樹齢300年のヒノキの木で、わざわざ日本から持ってきたものだそう。

一見すると非効率的な、ラッピングするまでにかけた手間と時間が、その贈り物に2つと無い付加価値をつけて、受け取り主に目に見えるモノ以上の気持ちを贈り届けてくれる。

社会に出ると、効率化や仕組化ばかりが求められる。
1人あたりの生産単価を高めることは確かに大事だ。
今の日本にたくさん物が溢れているのも、圧倒的な効率化・仕組み化の賜物だろう。

だけど、僕らは大量生産されたわかりやすいブランド品よりも、裏側にあるストーリーがあるものを大切にするようになってきている。

僕は、人の本質というのは、他の人から見たときに「え、それ無駄じゃ無い?」と思ってしまうようなことにこそ溢れていると思う。

その理由は、他者から見てムダだろう、意味ないだろうって思ってるところに時間を注ぐのは、その人がそこに価値を感じているからだと思うから。

あなたが価値を感じていることは、あなたの一次の繋がりの人は価値を感じないかもしれないけど、さらにその遠く繋がりの人はきっと価値を感じているから、偏愛でも狂愛でもいいから、どんどん言っちゃえばいいと思う。

社会が「消費」だという時間は、あなたにとってはかけがえの無い「投資」で、それを還元していけば、絶対に報われると信じている。

人付き合いの時も、共感できるとこばっかりじゃなくて、お互いが全力投資している時間について聞きあう方が、素敵なんじゃ無いかと思う。

そしていつか、無駄に付随するストーリーをお互いに交換し合う、そんな世界になるといいなと思うのだ。

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