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その情報、ちゃんと噛んでいるのか

「食べるの早いよね」

友達と一緒にご飯を食べていると、よくそう言われる。

小さい頃から早く食べるのが癖のようになっていて、意識をしないとなかなか治らない。
ちゃんと噛んで飲み込まないと、満腹に感じる前に食べすぎて太りやすくなるなどあまり良いことはない。

この”ちゃんと噛む”という行為は、食事だけでなく、情報を取り入れるときも同じように大事なのでは? と畑中三応子さんの書かれた「ファッションフード、あります。」という本を読んで気づかされた。

私たちはモノとしての食べ物だけでなく、情報も一緒に食べているのだが、空腹の時代は情報には頓着せず量の確保に比重が置かれた。量が確保されると、食べ物のモノとしての質、主に栄養が問題にされた。そして栄養が達成された次には、本格的に情報が追求される段階がはじまる。

畑中さんは冒頭でこのように記し、今の食文化の時代を

ハラだけでなくアタマでモノを食べる時代

と定義づけている。

食べ物に「これでもか!」と付与された情報だけを僕らは咀嚼するようになってきた。

食べ物を魅力的に見せる情報だけでなく、起きてから寝るまで、ひょっとしたら寝ている間の夢も含めたら、24時間365日情報にさらされて生きている。しかも、能動的に自分から取りに行く情報よりも、受動的に入ってくる情報の方が圧倒的に多い。

Twitterを1時間やってるだけでもありとあらゆる方向にリンクが張り巡らされていて、次から次へとマックのポテトを止まらず食べてしまうみたいに、Pocketに保存した記事や、noteでスキをした記事でMacが溢れかえっている。

しかもWeb上の記事は短いことが多いので、次から次へと一つ一つの記事をじっくりと読まないまま”読んだ気”になっていることが多いなと感じる。読んだこと全てを覚えておくなど不可能だし、必要な時に取り出せればいいとも思うのだけど、情報を浴びっぱなしにしておくのは勿体無い気もする。

ちゃんと情報を噛み砕くためにはどうしたらいいのか。

僕の中でその答えは2つあって、1つ目は素材として手に入れた情報を自分なりに調理すること。

Twitterでリツイートする時に自分の解釈を添えたり、NewsPicksでは読んだ記事に自分のコメントを必ず書くようにしたり。なんでその記事やコメントが気になったのかを自分の中で腹落ちさせる。

記事全部に対して感想をいう必要は無いと思っていて、引っかかった一文とか1シーンとかに対してだけ考えをちょっと深掘りしてみる。考えることって筋トレと同じでめちゃくちゃしんどいのだけど、食べ物も食べてそのままだと脂肪に変わるように、情報を咀嚼する筋トレはし続けないといけないなと思っている。

もう1つは、歯ごたえのある本を読むこと。

スナック菓子みたいに手軽ではなく、フランスのコース料理のようにゆっくりと時間をかけて味わうものを読む。

できればするりと入ってくるようなビジネス書よりも古典。文芸書も短編集よりも、長編ものがいいな、と思う。

久しぶりに何百ページにもわたるものと向き合うと、なかなか腹にずっしりとくる。

僕自身、今年に入ってから何冊くらい小説を読んだかと思ったら、GW前には3冊しか読んでいなかった。そこで、久しぶりに小説を読む時間をしっかりと確保して長編ものを読んでみると、Webで読む記事とは全く違うなぁと思う。

長編ものはずっと自分のイメージを持続させないといけないから、考えながら読むことになる。登場人物が今どんな気持ちなのか、立っているのはどんな場所なのか、一緒に走ったり、手を繋いだり、眺めたりしながら読んでゆく。

読むことは書くことでもある。

これは恩田陸の小説からの引用だけど、読むことは自分の頭の中の情景を見えないスケッチブックと原稿用紙に書き出すような作業だ。

なにより、良い小説は素敵な語彙や表現がスパイスのように散りばめられていて、味わい深い。そこで得た言葉はすぐには役立たないかもしれないけど、自分の言葉の土壌を肥沃にして、いざアウトプットを出すんだ、という時に助けてくれる。良い肥料が良い野菜や果物を作るように、良いインプットは良いアウトプットを生み出す。

ネットに溢れる情報はとっても便利なことは間違いないけど、たまにはゆっくりと文字と思考に向き合うのも悪くないのでは、と思ったGWの終わりだった。


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