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「好き」を仕事にし続けるためには、自分だけの絶頂を知ること。

自分が好きなことを仕事にしてみてわかったのは、仕事が好きな瞬間より、「もういやだ」と嘆きたくなるような瞬間の方が多いことだ。それでも仕事を続ける意味があるのは、今日のような瞬間が訪れるからだろう。

今朝、自分が執筆に関わった記事が公開された。

自分が服好きなのもあり、当日は熱がこもったインタビューをさせていただいた。インタビューさせていただいた木村さんからは、アパレル業界ででなくとも参考になるお話を沢山伺うことができた。特に記事内でも触れているが、「1対1の関係の延長」と「自分だったらどうされたいか」の2つは、普段顔の見えない方々に向かって情報を発信しているからこそ、胸に響いた。

今回の仕事は、仕事を変えてから初めてのインタビュー記事だった。前職でも広報記事用に社内のメンバーにインタビューをしたことがあったため、インタビュー自体は滞りなく進んだ。

ところが、いざ文字に起こそうとすると、どうにもうまくいかない。まず構成の段階で戸惑った。木村さんが一番伝えたいことはなんなのかを意識しつつ書いても、まっすぐな直線が引けず、よたってしまう。バラバラになったピースをどう配置していいのか全然わからず、「なんでこんなに苦しまなきゃいけないんだ。。」と心の中で早くも音を上げていた。初稿をあげる日が近づいてきても、納得する形にまとめられず、半ば強引に書き上げて編集に回した。

戻された原稿は、今までで一番赤の入った原稿だった。論理的破綻や言い回しなどを的確にコメントされて戻ってきたその原稿を見て、正直、少し泣きそうになった。先輩が厳しいくらいに赤入れをしてくれたことではなく、自分の力量の足りなさにだ。

赤入れを元に修正している時も、考えている頭とキーボードを叩く指が何里先も離れている感覚で、筆が進まない。時間だけが過ぎていき、文字は止まったままの瞬間が幾度も訪れた。それでも初稿より多少はましになったであろう原稿を再び編集に渡す。

その後、編集チェックからデスクへと回され、戻ってきた記事は自分が書いた記事とは全く違う様相を呈していた。言いたいことが綺麗にまとめ上げられ、最初から最後まで筋の通った一つのコンテンツになっていた。

美しく磨き上げられた原稿を見たときに、すごいなと思ったと同時に、悔しい気持ちが込み上げてきた。悩み苦しんだ時間よりもはるかに短い時間で良いものが作られている。自分が書きましたとTwitterでは書いたが、本当にこれは自分が書いたと思っていいのだろうかとその時は思っていた。

しかし、記事が無事公開され、沢山の人が記事を感想付きでリツイートしてくれていたり。LIKEを押してくれているのを見たとき、それまでの苦しみが全て吹き飛んだ。企画、取材、執筆、編集、デスク。一つ一つのバトンが無事に最後まで渡され、この記事が出来上がったのだと思うと、今度は嬉しさで泣きそうだった。

僕にとって記事が公開されて、人の目に触れた瞬間は、仕事における絶頂の時だ。全てが報われたと感じる。

毎週企画を考えるのは辛いし、赤入れだってまだまだ沢山入るし、手がピタリと止まっている瞬間は死にたくなる。自分の思考が停止するたびに「うわあああああああ」と投げ出してくなるけれど、作ったものが自分たちの手から離れた瞬間、日々、心の中に鬱々と溜まっているネガティブな情緒が解放され、圧倒的な快感を得る。極端な話、生きている意味を得られる。

「好き」を仕事にし続けるためには、自分だけの絶頂を知る必要がある。

目標売上を達成した瞬間、企画が通った瞬間、クライアントにありがとうと言われた瞬間。何だって良い。 自分で自分を癒せる術を知っていることが、「好き」なことを「好き」のままにしておけるのだ。

次の記事が出るまで、再び生き延びる日々が始まるが、絶頂の繰り返しを感じるためにも、またパソコンの前に座るのだ。

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