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これからの編集に求められることってなんだろう その2

2週間前にこのnoteを書いた後も、ずっと編集の仕事について考えている。

自分で選んだ職種とは言え、動画がどんどん台頭している中で文字の編集者としての価値はどこにあるのかと。

「これからはメディアの編集者としての側面の他に、誰かの編集者としての需要が高まると思う」

今日、昼ごはんを一緒に食べていた知人にその悩みを話していたら、そう言ってくれた。

彼はその例として、元メルカリのPRディレクター片山さん(@ktpr_PR)の存在を教えてくれた。片山さんは、株式会社「ツドイ」の編集者今井さん(@imai_tsudoi)を協力をして情報を整理して発信しているそうだ。

noteで書く内容なども、今井さんに編集をしていただいているらしい。

僕は「なるほどそういう関わり方もあるのか」と思わず唸った。

「編集者」と聞くと、僕はどうしても世の中にある情報を取捨選択して1つのメディアを作り上げる人を想像しがちだった。取材を通して多くの人に出会うが、基本的には一度きりの関係だ。だが、個人の発信したいことを1人の持続的なパートナーとして支え続ける選択肢もあるのだ。むしろ、これからはそういった関わり方が主流になってくるのかもしれない。

よく考えれば、幻冬社の箕輪さんなどはその先駆者だろう。面白い人を見つけては、彼らのエッセンスを凝縮し、本にする。一回作り切って終わりではなく、また何年後かに、新しい本を作るのだろう。

本を作らなくても、自分を客観的に編集してくれる存在というのはありがたい。どんなに無心になっても、自分の経験からバイアスは生まれてしまうものだ。アイデアも単独よりも、相乗効果で掛け算して生み出された方がいいに決まっている。

文字として発信したいことを整理するだけでなく、ブレストの相手になったり、一緒に戦略を練ったり「編集」のフレームワークを使えば、パートナーの魅力を十二分に引き出すことが可能だ。

個人のパートナーという選択肢が唯一の「編集者」の未来ではないが、時代に合わせて「編集者」はきっと形を変えていける柔軟な職業なのだ。

そう考えると、「編集者」の未来もまだまだ明るいと、少しは気が楽になる。将来、ずっと伴走したいと思えるような人を編集し続ける生き方も楽しいだろう。

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