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チリワインの礎を築いた「モンテス」の先駆者

チリワインは2020年まで6年連続で日本での輸入量トップに立っています。そんな成長著しいチリワインをけん引してきたのが「モンテス」です。

エノテカと強い関係を持つ、ダグラス・ムライ氏、アウレリオ・モンテス氏ら4人で設立し、当時の社名は「Discover Wine(ディスカバーワイン)」でした。

チリから世界にプライドを持って売れるワインを造ること、「Discover Wine from CHILE with Pride」としてビジョンを掲げ、歴史はスタートしました。

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実は創業は同じ1988年。モンテスを語る上で欠かせない人物「ダグラス・ムライ氏」について、会長・廣瀬にお話を伺いました。

-なぜ、モンテスを取り扱い始めたのですか?

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モンテスとの出会い

エノテカ創業後、最初に取り扱ったチリワインは「ヴィーニャ・ポルタ」と「モンテス」です。

1991年、チリが国を挙げてワインのPRに力を入れていて、日本を含む東南アジア各国でチリワイン普及のためのプロモーションを積極的に行っていました。

当時は両社ともどちらか一社に絞ってほしいと言われていて、ラベルのプレゼンテーションも、赤ワインも白ワインのクオリティもヴィーニャ・ポルタが優勢でした。

しかし、モンテスの営業部門を率いたダグラス・ムライ氏(以下ムライ氏)の人柄や考えに共感しました。そして、初めてチリを訪れた時のウェルカムパフォーマンスやホスピタリティーで心を動かされ、モンテスに絞りました。

ダグラス・ムライ氏が教えてくれたこと

モンテスを取り扱うにあたって、ムライ氏とは何度も会い、お互いの理解を深めていきました。彼を語る上で欠かせないのは、彼の「いつもどこでも忘れない感謝の心」です。

あるレストランに行った時、隣のテーブルの上に置かれたモンテスのワインを見ると突然立ち上がって、「モンテスのワインを飲んでくれてありがとう!」と、モンテスのワインを飲んでいる人に握手を求めていました。

チリワインとして世界的に成功しているモンテスですが、驕ることなく分け隔てなく、いつ、どんな時も感謝を伝えている彼の姿は印象的でした。

-ムライ氏との思い出を教えてください。

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天使のラベル誕生は意外なところから

チリに行った時に毎回恐怖を感じるのはムライ氏とのドライブです。

超猛スピードで話しながら運転するものだから、いつも冷や冷やしていました。ちなみに彼はそれで事故に遭い、車が大破したにも関わらず奇跡的に無傷だったことから、天使の存在を確信したそうです。

このことをきっかけに、常に小さな天使の人形を持ち歩くようになり、おもてなしのひとつとして「お守りに」とプレゼントするようになりました。モンテスのワインラベルに天使が描かれているのも、このエピソードからです。

エノテカの保養所「ハウス・オブ・ムライ」の誕生

ムライ氏は体内時計なんて関係なく、とにかくしっかりと食べる人でした。その調子で生活していたものだから、飲みすぎ、食べ過ぎ、そして働きすぎで、体調を崩した時期がありました。

その時に「健康のため痩せたい」と相談されたので、伊豆のやすらぎの里で実施していた「5日間断食ダイエット合宿」に2人で参加しました。

暑い夏の盛りに伊豆の遊歩道を歩いていたら、ダイエット合宿で何も食べていなかったため、体力が落ちていたのか「もう歩けない…何か飲みたい」と言ってきたんです。

歩くのも辛いと言っていましたが、その遊歩道にはたくさんの蚊がいたので、彼をおんぶして近くの寮まで連れていきました。

あれは大変でしたね。

ただ、そのとき偶然見つけたのが「ハウス・オブ・ムライ」。現在、エノテカの保養所として利用している施設です。

保養所を購入した時、彼は既に亡くなっていましたが、あの時一緒に歩いていなければ出会わなかった場所だし、思い出の地でもあるので彼の名前を付けました。モンテス社の人たちにも「ハウス・オブ・ムライ」のエピソードは語り継がれて、来日した際には宿泊してもらっています。

ムライ氏との別れ

晩年、ムライ氏はガンに侵されて、闘病生活を送っていました。あれは、忘れもしない2010年3月です。余命がわずかであると、滞在先のパリへ連絡がありました。

私はすぐにパリからチリへ飛んで、彼の元へ行きました。一晩を共にして飛行機に乗る前までの間、いろいろな話をしました。その時のことは今でも鮮明に覚えています。

私が「いつか一緒にイースターアイランドに行って、モアイ像を見たい」と言ったことを覚えてくれていたようで、イースター島の写真集を帰り際にプレゼントしてくれました。

その写真集を飛行機の中で見ていたら、そこには彼から直筆のメッセージがありました。

「To A TRUE FRIEND Yasuhisa Hirose,」

「本当の友達、廣瀬へ」の書き出しで始まり、「エンジェルと共にあなたとエノテカのチームをいつもそばで見守っているよ」と綴られていました。

最後まで、本当にホスピタリティーが素晴らしい人でした。今思い返しても胸が熱くなり、涙が出てきます。

-最後にこれからのモンテスに思うことはありますか?

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モンテスを語る上で欠かせない「人」

モンテスの技術屋であるアウレリオ・モンテス氏は、とにかく一生懸命にワインを造ってくれる。ワインのクオリティを上げていくために、新しいことにも積極的に挑戦しています。

そして、モンテスの素晴らしさを一人でも多くの人に、世界中の人にモンテスのワインを飲んでもらえるかを常に考えていたのがムライ氏でした。この二人が組んだからこそ今のモンテスがあります。

この二人の想いやスピリットを受け継いでいるのが、今のモンテスのスタッフたち。ムライ氏の後任でもあるカルロス・セラーノ氏を中心に彼らの思いを受け継いでいます。

ムライ氏の夢は「世界中の人にモンテスを飲んでもらうこと」でした。彼の部屋には世界地図があって、モンテスを飲んでいる国に旗を立てていました。

生前に「いつか日本で10万ケースやりたいね」と話していましたが、その夢はモンテス社に引き継がれ、カルロス・セラーノ氏と共に実現することができました。

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エノテカにとって強固なリレーションシップを作ってくれたムライ氏は、とてもチャーミングで情熱的な人間味に溢れた人でした。彼がいなければ、今のモンテスはないし、こうしてエノテカでモンテスを取り扱うこともなかったと思います。

モンテスは本当に素晴らしく、ワインのクオリティはもちろんだけど、その裏には素晴らしい人がいるということ。

モンテスとのビジネスは「人」がなくては語ることができないし、エノテカは、そういう「人の想い」を語り継いでいきたいです。

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最後までお読みいただき、ありがとうございます!

エノテカでは、「皆さんが笑顔になって、豊かな時間を過ごすとき、そのシーンに相応しいワインに巡り合っていただきたい」と思っています。

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