「縁起のいい死神」22'0109の日記

ちょっと前に明けましたね。

・今年は大晦日の2週くらい前から「ほぉら…明けるぞ…明けるぞ…」と縁起のいい死神みたいに唱えていたので、それなりに充実した年越しを迎えられた。いつもは12/29の午後くらいに年末だと気づく。

・なんか半年に一回のペースで更新しているな。前々回の記事が去年の正月だし。漫然と過ごしていると書くことが無いけど、追い詰められているとテキストに逃げたくなるようだ。今回は完全に気まぐれ。


Twitterの方に更新が無い(更新が無さすぎて鍵にしちゃった)のは、サブアカウントとして作ったというのもあり、存在を完全に忘れているからだけれど、稀とは言え未だに通知があってビビる。ありがたいことに以前書いたシャニマスの「ギンコ・ビローバ」の考察や梨さんの「攀縁」の感想がシェアされているっぽい。

・これらは、おそらく類似の記事があまり多く無いのもあって、関連ワードでGoogle検索するとそれなりに上に出てくる。今ダッシュボードを確認したらそれぞれ1万回ほど読まれているようだ。

・こえ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・何が怖いって普通に知り合いに読まれる事で、僕の知り合いって事はつまり似たような趣味を持ってる割合が高いって事で、このnoteはもう最初の記事からネガティブ&自虐&露悪の三重奏で、まぁ万が一そこまで見られたからって何か言われる事も無いだろうけど、

・こえ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・本業と全く接点の無い場所ではあるけど、プロフィールとか文体(口調?)とか趣味とかサムネの感じとかで一瞬でバレると思う。数ヶ月に一回、このことが頭をよぎってウギャっとなる。悩んでる時、偶にこのnoteを自分で読み返すことがあるから整理こそすれアカウントは消さないが。



・自分という存在が連続していたり、帯になって汎ゆる事象に跨っているという事実が凄く恐ろしい。無数の線ではなく、淡い点でありたい。

・真っ暗な空間で、複数の細い糸で宙吊りになっている自分を想像した。不安定で、糸が切れれば、それぞれ対応する部位が支えを失い動かなくなる。

・この糸を編んで束ねて、一本のロープにしてしまう事が恐ろしい。太く強靭であり、自分を強い力で支えてくれるのは解るけど、もうその一本しか無くなってしまうのだ。「切れづらいけど、絶対に切ってはいけない最後の一本」に文字通り全体重を預ける事が、どうしてもできない。良いことも悪いこともその一本に波及して、解れて、撓む。軋むたびに冷や汗が吹き出し、劣化することに怯えて無理な体勢で保全する。落ちたくないのだ。あるいは最初からずっと底にいたい。落下の衝撃に耐えられる気がしないから。

・怖くない?みんなはどう?


年明けに書く内容じゃないな。ついでに「知り合いに見られたくね~」みたいなことを書いた直後に知り合いに見られたくない文章を書いている。ふと思っちゃったんだから仕方がない。

・もう何度も似たような締め方をしてるけど、やっぱり考えていることを文章に出力するのは有意義だ。でもふわっとした不安はふわっとしたままに留めておく方が健全だとも思う。腑分けは「幽霊だと思ったら生きた人間でした」系の悍ましさを伴うから。

・連日投稿していたのは最初の3ヶ月くらいだけど、細々とはいえnoteとの付き合いはとっくに1年を超えている。これからもまた、思い出したように何かを書くんじゃないかと思う。距離感。


ロープより糸が良いみたいな話をしたけど、うどんと蕎麦ならうどんの方が好き。太くて強靭だから。

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