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(小説)砂岡 1-1「ハクジツ」

 涼しい〜。

窓から吹き込む北風が春木の頬を撫でる。

 南東の高い空が、いつもは空と陸をきっちりと分ける地平線も、今日はすこし淀んでいる。砂の上に描かれたいくつもの直線は船舶たちがつくったものだ。船舶と言っても、よく水の上を行くあの船舶ではなく、水陸両用のホバークラフトだ。船舶の航路は日によって変わる。

 今日は南風だから砂が良く飛ぶ、そのせいで視界が悪くなるために、船舶たちは沿岸に沿って航行する。今はそんなに砂が俟っているわけではないが、突然大きな砂嵐が発生することもあるから、念のために海岸側の航路を選ぶのだ。そうしなければ法で罰せられる。前にGPS付きの輸送船が砂嵐で遭難、船体ごと沈み、乗組員5名が死亡した事件があってから、法改正があったのだ。その事件は輸送船の名前からシーラカンス号事件と呼ばれている。もっとも、シーラカンス号事件でショッキングだったのは、GPSが装備していたのにも関わらず遭難したことよりも、遭難中に船内で起ったカニバリズムにあったのだ。

春木は、くるっと一周して、蛇口を締める。ふらっとまぶしい。

 それにしても、恐ろしく広いものだ。人類はもう宇宙にまでその生息圏を拡大しているというのに、あの砂漠の中では生きることはできないのだ。それができたら、どんなに世界中の紛争を解決できるだろうか。

砂漠の向こうにポツポツ、きらきら、ゆらゆらと構造物が視え始めた。

 あれは、リグだ。オイルリグ。ここからでは随分、小さく見えるが、この街の中心街にあるいちばん高い高層ビルよりも大きい。そんなものがいくつもある。あそこから取り出される黒い液体を濾したものがあの船舶の動力源になる。

 遠くて、近い。欲望の塊だ。そうして得た利益でこの街は生き残っていられる。わたしはこの風景を堪能することができている。でも。排水溝まで辿りつけなかった水たちがそこに止まっている。

 あのリグですら、山脈側からせいぜい40マイルほどの距離にしか建っていない。砂漠のど真ん中には建てられないのだ。砂漠の真ん中にはたくさんのオイルがあることが分かっている。だけど、未だ誰の手にも届かないのだ。構造が持たないのだ。秋には砂漠に水がやってきて、「海」をつくる。砂漠の真ん中のほうはかなりの水深になる。高潮も発生する。そんな「海」が夏には南の向こうへと行き、すっからかんになる。そして、何度も砂嵐がやってくる。昼夜の寒暖差による腐食も激しい。浮体式のリグも開発されたが、何年か前の夏に倒壊したようで、いまも多数の行方不明者とともに砂の中に埋もれている。

指の先でなぞって水たちをつなげる。

「はるきっち!おーい!涼んでんじゃねぇーぞっ。戻ってこーい!」

って副議長の塩崎が教室の中から呼んでくれたら。まっ副議長なんて役職はないわけで。

「おい高梨、遊んでんのか〜。」と先生からの一撃。

別に遊んでいるという自覚があったわけではないが、ディベートに集中できずに、トイレに行っていた。そろそろ、戻ろうかな。

すっと教室の入り口を跨ぐ。

「すみません。」と、とりあえず言っておく。

「さて、家族制度の崩壊という危惧に対して、現代の受胎出産テクノロジーはひとつの答えを出している。あなたが守ろうとしているのは、一体なんなんだ?」
饒舌な森川君のいる班は今日もディベートのイニシアチブをとっている。

トイレに行くまえ、わたしの遊び相手をしてくれた鉛筆にやっと手が届く。鉛筆の先は折れている。

彼とわたしは似ている。

 彼はいつもディベートのとき、少数派の味方をするのだ。それが彼の正義だ。わたしはいつもこの席、つまり議長席だ。ふたりとも本質的に誰の味方でもない。それはかっこいいことかもしれない。現にこの教室の内外に森川君のファンは多い。でも、わたしにはわかる。彼は単に優柔不断なチキン野郎だってことが。

 わたしはと言えば一応、このクラスに存在する女子グループに入っている。まぁゆるいほうだとは思うけど、毎日LINEで会話する程度には濃厚だ。その点でまだましなほうだ。

そう思うと少し安心する。

ガンっ!痛!机に頭をぶつけた。その拍子に鉛筆の折れた後の先っぽがお姉さん指にチクリと触れる。

鉛筆による復讐を食らったのだ。

「おい!高橋!お前、いい加減にしろ!議長なんだぞ!お前がディベートを放置してどうする!あとで、俺のティーチャールームに来るんだ。」

「・・・すみません。」

 まぁ森川くんには信頼がある。だからよくカフェで長話をして盛り上がることもある。森川くんはその性格故に本質的に孤独なわけで、逆に安心できるのだ。彼は自らわたしにモノガミーだと告げてくれたのだから。(それはそれで、彼の中には葛藤があるみたいだけど。)そうそう、わたしはなんて言ったってレズビアンなわけだから。森川くんと話すときは必然的に相手がわたしに好意を持たないかが心配になる。それは自身過剰だと非難されてしかるべきだとは思っているが、年齢が年齢だ。麗しき18、19の男子が女子と会話すること自体、それは、ひとつのイベントなのだ。それは大多数の女子にとっても同じだ。女子校上がりの女の子の中にはその辺のことに鈍感な子もいるけど、わたしの安易なリサーチではこのクラスの実に9割の女子は異性とのコミュニケーションになんらかの「過剰な自意識」を抱いている。もちろんこの事情は男子にとっても同じに違いない。となれば、このクラスは絶えず「過剰な自意識」で一杯なのだ。わたしはレズだから・・・、というフレーズはすごく好きじゃないけど、あえて使うなら、わたしはレズだから、この状況に意識的でいられるのかもしれない。正直、すごくバカみたいだと思う。みんな心の内をさらけ出せばいいのに。

まぁそんなことしたら大変だろうけどさ。

 後頭部に新しくできたたんこぶを摩る。痛いなぁ〜。我ながら、よくも堂々としているもんだ。鉛筆落として、盛大にたんこぶつくって、呼び出しまで食らったのに心の中では別のことを考えているのだから。痛みの思い出しついでに、ディベートに耳を澄ましてみる。

「入雅の、INLF(入雅独立解放戦線)の、イデオロギーはどこにあるか?そう質問しているわけですか?そんなもの、たったひとつなわけないじゃないですか。」

「いや、あるんだとおもうよ。」

・・・ダメだ、森川君よ。全く話についていけない。

「例の性的な人権問題ですか?ファシズムです。既に独立戦線、、INLFは武装するばかりか、議事堂を暴力的に占拠しています。少なからず死傷者も出ている報道もあります。ですが、大英帝国下として我が国が取りうる選択肢はない。資源は無限ではありません。想定では。」

「そうです。新聞の推定では約50万人。いや周辺国も合わせて80万です。現実的にそれだけの難民を受け入れる余裕は砂岡にはない。染切にもです。北部にはジョカーレ要塞が控えている。」

「なら、まさか森川さんは難民を見捨て、INFLによる自主独立を認めると?」

「まず認めるかどうかの資格は誰にもない。僕ら砂岡市民にも。それにまず最初に難民の保護を責任があるとすれば我が大英帝国側にある。」

「森川さん、いま、そういう話をしているわけじゃないでしょ。反英主義と入雅の難民問題はまた別問題でしょうに。その辺ごっちゃにするから見当違いな右翼紛いなデマがネットに出回ってしまうのでは?議題それちゃうんじゃないの?ねぇ、議長。」

「まだです。僕は砂岡にはキャパシティがないとは言ってません。」

そう、第一区。この教室にいる半分くらいは知っている。「自意識過剰」な依存体質と同じように。それなのに、声に出して言える人はこのひとしかいない。

キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン。
先生の閉じていた目が開き、ポケットからタバコを取り出される。

森川くんと目が合う。おっわたしの出番か。

「そうですね、確かに反英思想と入雅問題を同一のものとしてだけ、捉えるのはやや精緻さに欠けると思います。しかし、マイトレーヤ諸国内で近年多発するレイシストによるテロには反英思想とセクシャル・リバランスとを複合させた動機も見られるという主張も、全く関係ないとも言えなくないとも思いますので、その方向性でもありかと・・・。」
チャイムの余韻にうまく吸い込まれゆく。
議題は昨日グループワークで作成されたチャート「入雅からの難民受入問題」についての意見交換だ。それぞれのディベートが終わり、わたしがトイレに行っている間には討議が始まっていたらしかった。

椅子に深く座る。森川君がうなずく。

 さっき森川君が言ったことは正しい。動機とテロとを直接的に結ぶことは思考の破綻だ。だけど、わたしは議長であると同時にこのクラスの学級委員でもあるのだ。双方の名誉も守らねばならない。このクラスは今日限りのものではない。このメンバーで修学旅行や合唱祭をやってゆくのだ。そのためには必要な茶番だった。

森川君はそのことをわかった上で、うなずいたのだ。


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