財務省は動かない?
財務省、かつての大蔵省といえば、国家公務員試験一種に受かっても、成績がトップクラスでないと入れない超一流官庁として知られていた。
東大でも法学部卒でないと出世できない。
経済系の官庁なのに経済学部卒は傍流。そんなエリート中のエリート官庁だった。
東大とはいえ理系の私からみれば、全く別世界という感じ。大蔵官僚になった知人はひとりしかいない。
なお、その一人が教養時代のクラスメイト。岡田光信氏だ。
理科2類から農学部林学科、同大学院を経て大蔵省に入省というなかなかに異色なキャリアだ。
その彼はいま、アストロスケール社を率い、宇宙ゴミ問題に奔走する。毎度の話だが、スケールがデカい稀代の人だ。
話を大蔵省に戻そう。
仕事は激務。毎年自死者が一人は出るという地獄のようなところ。それでも国を率い、導きたいという滅私奉公なイメージがあった。
大蔵官僚から政治家に転じる者も多く、故宮沢喜一元首相や福田赳夫元首相をはじめ、枚挙にいとまがない。そんな旧大蔵省への憧れが、東大文一の難易度の高さを支えていた。
その権威が失墜し始めたのはいつからだろう。
やはり「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件が大きかったのではないか。私のような無関係な人間でさええーっとなったあの事件だ。
逮捕者、自死者が多数出たこの事件の影響は大きかった。
公務員の倫理問題が大きく取り沙汰され、大蔵省は解体された。
いま、財務省にかつての権威はない。
東大文一、法学部から財務省というかつてのエリート街道にそこまでの魅力はない。
とはいえ、それでも大蔵省、財務省の力は強い。話題の国民民主党玉木党首にしたって、もと財務官僚だ。
あのノーパンしゃぶしゃぶ事件を見たのが政治家を志すきっかけだという。
そして前財務官、神田眞人が世間の注目の的となった。
神田氏は科学技術政策に一家言を持つ。
日本の研究予算は足りている、ダメなのは大学や研究者だ…。
そうした持論を隠すことなく、積極的に語った。研究者の前にも姿を現した。ときに口論になるなど、持論を変えることはなかったが、顔が見えていたのは良かったと思う。
しかし、神田氏が去った財務省が、科学技術への姿勢を変えることはなかった。あれは神田氏個人の話ではないのだ。
去る2024年11月11日、財務省の財政制度分科会が、今年も科学技術に厳しい意見を公表した。
この財政制度分科会は、年一回くらいは科学技術、文教政策を取り上げる。
その度に研究者、ときに文科省から反論の声が出るのだが、全く変わらない。
ちょっとずつ異なるが、毎回同種の主張を展開する。研究費は足りている、国際化が足りない、硬直化した研究費配分がいけない…。
いやいや、科学技術予算として計上されている予算の中に、直接研究に関係のないものを混ぜているではないか。現場のことを全く分かってないではないか。
今回もそうした意見が噴出した。
これくらいにしておくが、いまタイムラインには現場の研究者の憤りがこだましている。あくまで私のタイムラインでは、ということだが。
毎年の恒例行事のようになってしまった。
財務省が現場の声を聞き、せめてその声に対して反論でもいいから意見を言う、つまり対話する可能性はあるのだろうか。
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