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12番目の研究員

 もう16年も前になるが、NPO法人を立ち上げてしばらく代表を務めていたことがある。

 その名もNPO法人サイエンス・コミュニケーション。略称はサイコムジャパン。

 もともとは大学院生や若手研究者のための団体を作ろうと思っていたが、議論をしていくうちに、権利の主張だけでは主張が認められることはないので、科学と社会のあり方を考える公的な団体にしなければならないということになった。

 当時はまだ馴染みのなかったサイエンスコミュニケーションという言葉を法人名にした。いまだったら一般名詞でしょう、と言われちゃうかもしれないが、当時はなにそれ?という状態だったのだ。

 選挙の科学技術技術政策の比較や、サイエンスアゴラへの出展、産総研と組んでの博士人材ワークショップなどいろいろなことをやった。内閣府の依頼でお寺でサイエンスカフェなんかもやったりした。そうそう、その應典院さんは小劇場を閉じちゃうことで話題になっていたので、懐かしいなと思った次第。

 それはともかくいろいろなことをやったが、メンバーの間で活動の方向性に違いが出てきて、分裂することになった。まあ、よくあることではあるけれど。

 法人のほうは分裂したメンバーに譲り、私は仲間と新たな団体を立ち上げることにした。もう一度NPO法人を立ち上げられたらいいのだけれど、あれは作るのにかなりの労力と時間がいる。もう一度一からNPO法人を作る気力はなかった。

 こうして立ち上げたのが、サイエンス・サポート・アソシエーション。略してSSA。法人格も定款もない、ただのグループ。今年で設立10年になる。

 命名者は友人の難波美帆さん。全米科学振興協会の略であるAAASをもじったネーミングでもある。

 サイコムジャパン時代からの事業であるメールマガジンの発行や、博士号取得者のキャリア問題への取り組み、科学技術政策ウォッチなどの活動を中心に細々と活動してきた。サイコムジャパン分裂当初から、法人化をまたしようという希望があったのだが、仕事などが忙しくなりなかなか本格化しなかった。

 そうこうしているうちに時間がたち、やはり法人化を具体化させようということになり、2018年に一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)を作った。SSAを法人化しようという話もあったが、科学技術と社会のあり方を考える活動により特化したかったのもあり、別団体としたわけだ。

 残されたSSAのほうは、一応任意団体として残しておいたが、ドメイン代などを自腹で払っていることもあり、なんとかしたほうがよいなあと思い続けていた。


 この正月、SSAの今後についてつらつらと考えていた。

 カセイケンの一部門とするのがいいか、別団体にするのがいいか、それともカセイケンを立ち上げたからもうなくしてしまおうか…。

 いろいろ悩んでいるときに、AAASの会員募集のページが目に留まった。

 AAASは決して科学者だけの団体ではない。誰でも会員になれるオープンな組織だ。それは知っていたが、会員募集ページには以下のようなことが書かれていた。

AAAS membership is open to all — whether you’re a career scientist, engineer, student, or passionate champion for science, you belong here. We’ve been the home for scientists and science supporters since 1848. Today we’re the world’s largest general scientific society — a community that cares about curiosity, evidence, and discovery.

 あ、これだ!と思った。

 AAASは設立当初から、科学者とともにサイエンスサポーターの家だったと!

 難波さんがSSAの名前に込めた意味が心から理解できた気がした。


 日本の「科学力」低下、博士課程進学者の減少、国立大学運営費交付金問題、そして研究不正…。日本の科学を取り巻く様々な問題について懸念の声が聞かれる。

 私も懸念、憂慮する人間の一人であり、カセイケンや一般財団法人公正研究推進協会(APRIN)で諸問題改善のために活動している。

 私の活動を応援してくれる人も多く、とても嬉しく思っているし、力になる。しかし、私の活動を苦々しく思う人も多いことは時々感じている。

 「あなたは医者かもしれないが、大学教員でも現役の研究者ではないでしょう。あなたに様々な問題を語る資格あるのですか?」

 たしかに私は大学教員でも現役研究者でもない。いわば余計なお節介をしているようなものだ。けれど、大学教員や科学者など、当事者でなければ科学や大学、研究のことを語ってはいけないのだろうか。少なくとも納税者だし、科学を語る権利は有しているのではないか…。

 そう思いながら悩んでいたが、サイエンスサポーターという言葉に触れ、ああ、これでいいじゃんねぇ、と附に落ちたのだ。

 サイエンスサポーター。直訳すれば科学の支援者。うーん、なんか違う。

 むしろスポーツチーム、とくにサッカーチームのサポーターのほうがしっくり来るようにも思う。単に応援するだけではない。クラブを支える意識を持ち、時に苦言も呈する。「12番目の選手」とさえ呼ばれることもある。サポーターのいないチームは存在できないのだ。

 科学にもそういう存在必要だよねえ、と思う。いや、すでにいるでしょう。科学雑誌を読み、科学館に駆けつける子供たち(もちろん大人も)。科学を支えることを仕事とする人たち。科学の知識で飯を食う専門職たち(医者もそうだ)。知財関係の人。理科や科学関係の先生たち。NPOやボランティア。報道関係の人たち。科学書や科学記事を書いたり読んだりする人たち。科学館などで働くサイエンスコミュニケーター。漫画家。広報担当者。科学のことを考える政治家や官僚だってサポーターだ。

 私が大学院生だったときなどもふまえ考えると、正直なところ、科学者、研究者はこうした人たちを下に見ているところがある。

 要は分かってないなあ、と。

 科学記事に不満を持ち、知識、理解不足を揶揄する。研究職以外の職員に上から目線でモノを言う。科学者、研究者自身がいればコミュニケーターなんていらないよね、と言う。もちろん、記事や成果に不満があってもいいわけだが、存在そのものを軽視している。

 それでいいのかなと思う。 

 山中伸弥教授はかつて政府でのプレゼンのなかで、日本と諸外国の研究体制を比較している(下図)。

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 日本では研究者と事務だけで世界と闘っており、その他の専門家とチームで闘っている諸外国に比較して体制がしょぼすぎるというわけだ。研究者を取り巻く専門家たちはまさにサイエンスサポーターだ。

 こうした専門家含め、サイエンスサポーターの地位や位置付けは諸外国に比べ高くないのが日本の現状なのではないか。

 ならば、サイエンスサポーターの地位を高め、強く、存在感のあるものにしていくことで、日本の科学研究をよりよいものにしていくことができるのではないか。


 以上の考えから、設立10年経ったSSAは、サイエンスサポーターのための組織として再編していくことにした。そしてそれはカセイケンとは別に、私榎木の個人プロジェクトとすることにした。もちろん、バンドのボーカルがソロになったみたいなもので、両者は密接な関係を持つ。

 まだフェースブックグループでの交流だけしかしていないが、今後サイエンスサポーターが日本の科学研究の12番目の研究員となるための活動を行なっていきたいと思っている。

  12番目の研究員は、決して科学教の信者ではない。サッカーのサポーターと同じように、ときに厳しい目を科学に向ける。それは「反科学」じゃない。

 ブラジルなどサッカー大国には非常に厳しいサポーター、批評家がいる。ときに暴動を起こしたりする。さすがに暴動はダメだが、厳しい批判があるからこそ、こうした国々はW杯で優勝するようになったのだ。

 セルジオ越後さんがよく言われるように、日本のサッカーを強くするためには「感動をありがとう」ではだめだ。

 科学への愛があるからこそ、厳しいことも言う。こうしたよい意味での緊張関係を日本でも作ることができたら…。

 正月にみた初夢が正夢になるか。まずは一歩踏み出したい。

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