生きがいについて
生きがいを感じるのに手っ取り早いのは働くことらしい。仕事というのは達成感を得やすい。また日々の生活を忙しくし、生きがいについて考える機会すら与えないこともある。ほかにも家事などやるべき事があり、それができていると、知らぬ間に生きている張り合いを感じるのかもしれない。育児や介護に於いては、他人から必要とされている感覚や、自分にしか成し遂げられない使命感・優越感が生きがいに繋がる。
さて、自身にとっての生きがいは何であろうか。仕事も家事も成し得ない、やるべき事もできる事も少ないこの生活に、生きがいを感じるのは少々困難である。鳥の鳴き声が聞こえてきたり、美しい花を見つけたり、美味しいご飯が食べられたり、ふとした瞬間に心が和らぐことはあるが、その感情は一時に過ぎず、また元の抜け殻状態に戻ってしまう。インスタグラムに投稿している事柄に関しても、日々の生活の一割程度の、感情が高揚している場面のことだけなのである。日常は割と悲惨だ。どうしようもできない混合状態に陥り、泣き叫び暴れ回り、自害や他害をしてしまうこともある。本来なら入院すべきなのである。しかし家族は、トラウマである入院を強いることなく、皆で苦しみながらも支え合い、我が病気と闘ってくれているのだ。とても恵まれていると思う。
どうしたら生きがいを感じられるだろうか。人間とは物事に意味を持たせたがる生き物である。生きている意味とは。「生きている意味なんてない」と言わないでほしい。私は何かを成し遂げるために生まれてきたのだ。そう思ってしまうのだ。この感情を他人に否定されたくない。本来であればもっと能力のある人間だと過信してしまうのは、紛れもない私の性なのである。私を苦しめた病を見返してやりたい。そして昇華させたい。今までの苦しみが意味のあるものであったと思い返す日が来るまで、私は闘うことを誓うのである。
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