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細い鉄塔と軒先の緑

東京に住み始めて1年が経った。これまでも東京へ行く機会もそれなりにあったものの、やっぱり住むとなると違う。地方出身者特有の東京への大きすぎる憧れと少しの恐怖感を今でも抱きながら日々暮らしている。この新鮮な気持ちが薄れないうちに、東京での身近な風景を見て感じたことを撮りためたフィルム写真と一緒に書き残しておこうと思う。

東京へ来て、都心のビル群や、歴史ある名所、風情を感じる下町の風景には素直に感動したけど、もっとじんわりと、それでいて深く心を動かされたのは、「古くも新しくもない、ふつうの住宅街」の雰囲気だった。(もちろん歴史がないわけではないので、地形や区画割りから街の成り立ちを読みとることも試みてみたい。)

東京のふつうの住宅街は、全体はあまりに巨大だし、地域ごと異なる特徴はあるけれど、部分を見れば基本的には民家も街路も日本中どこにでもありそうな感じだ。はじめこの記事では、うまく説明できないけど「なんかいい」と思った街の風景について、それを地方から移り住んだ自分が感じた「東京らしさ」として紹介するつもりだった。だけど、実はそれは濃淡はあれど日本の多くの場所でみられるもので、引っ越しを機に街をよそ者の視点で見ることによって、その普遍的な良さに気がつくことができただけかもしれないと思い直した。だからここでは、日本の住宅街の「なんかいい」ところとその理由を、東京の風景を通して探っていきたい。

今まで特に惹きつけられた「なんかいい」ものが2つある。ひとつは、狭い土地の軒先で巧みに庭を作り出している「小さな緑」だ。「路上園芸」と呼んで愛でる人がいれば、学術的にも、軒先の緑は路地景観を構成する要素として分析の対象になっている。割とポピュラーな話題として定着している通り、密集した住宅街にも意外と緑は多い。見出しの写真のように、団地のベランダなどにはかなりの割合で植木鉢の緑が生い茂っている。手付かずの自然が少ない分、かえって植物を愛でる意識が強くなるのだろうか。そういえば最近の都心の大規模開発でも、人工的ではあるけど、植栽や緑地というレベルを飛び越してもはや「森」と呼んでいい空間が整備されることも多い気がする。

この写真では、鉢植えは私有地を完全に飛び出して道路の街渠の上に並べられている。境界を超えて大丈夫なのかと心配になるけど、本来これが都市での生活の自然な姿なのかもしれない。公共空間ににじみ出すその「庭」を見ると、どんな人が手入れしているんだろうかとか、どこがこだわりポイントなのかなとか、いろいろな想像が膨らむ。暮らしぶりを隠しきれていない(隠そうとしてない)こういう素朴な美しさに、人は共感を覚えるのだと思う。

「なんかいい」の2つ目は、送電鉄塔だ。よくあるものなのに、何がこんなに新鮮に感じるんだろうと思い調べてみると、自分が妙に惹かれる鉄塔は「環境調和型鉄塔」というタイプだということがわかった。住宅地等で、景観など周辺環境に配慮するため、トラスではなくポールの構造をしている。鉄塔というより鉄柱と言ったほうがいいかもしれない。環境調和とはいっても近くで見るとなかなかの存在感だが、「よくあるもの」だと感じさせ、住宅と鉄塔の組み合わせが「なんかいい」を想起させることを考えると、ある意味すごく調和した風景を作り出していると言える。

上の写真の鉄塔は、高級住宅街として知られる成城の周辺に架かる送電線のものだ。白いポールがリズムよく連なっていて、この地域のまとまり感をなんとなく醸し出している。しかも、世田谷区を抜けた途端に通常のトラスの鉄塔に変わっているから面白い。環境調和型鉄塔のほうがお金がかかるらしいけど、どんな経緯で鉄塔のタイプを決めていたんだろうか。
さらに、現地を歩いたときには見つけられなかったのだけど、白い鉄塔下の敷地を地域の子供たちのための遊び場としている「のざわテットーひろば」という施設があることを知った(世田谷区おでかけひろば事業、NPO法人 野沢3丁目遊び場づくりの会)。鉄塔が地域のシンボルとして機能している。周辺環境に「配慮する」という姿勢は見えず、むしろ積極的に景観とコミュニティを創りだしている。鉄塔は、電力供給という本来の目的を果たすインフラとして、また一部のマニアたちが「萌える」対象としてだけでなく、住民が主体となったまちづくりや都市デザインの観点からも大切な役割を担いはじめている。

細い鉄塔と軒先の小さな緑、それらが創りだすふつうの街の風景について書いてみた。街について話すとき、「でも自分そんなに詳しくないしなあ」と思って自信をなくすことがよくある。世の中には、建築、地形、川、暗渠、マンホール、鉄塔、植物、生物、民俗、道路、鉄道、バスなど、あらゆる分野のマニアや研究者がいて、特に何かに精通しているわけではない自分と比べて尻込みしてしまう。それでも、自分は自分のアンテナに従い、いろいろなスケールで、いろいろな性質のものとその組み合わせを見つけ出すことは意外と向いているのかもしれない。写真が好きだということは自信をもって言える。限られた枚数しか撮れないフィルムカメラにズームができない単焦点レンズ一本で撮影することは、自分が自然にはできないであろうものの見方を見つけるのに役立つ。街を歩けばいつも新たな発見があるし、何よりも楽しい。
そんなことを思いながら、東京での暮らしは続いていく。

(参考/出典)

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