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太宰治が代弁する 努力の「SIDE B」


日記に綴られる夢までの苦悩

 夢や理想に向かって進むとき、その対極にある現実、つまり現在の自分自身が突きつけられる。現在の自分と向き合う時間は、とてもエネルギーを要する。だが、真正面から向き合い、内省を行うことで、目標に向かって熱狂する自分の新たな一面に出会う瞬間は、成長には欠かせないものだ。
 私たちは、一人で自分自身と向き合う時間をどれほど持っているだろうか。そのときに湧いて出てくる感情とは、一体どのような感情だろうか。友人やメンター、コーチとの対話のなかでは、現状を鑑み、目標に向かって素直に再起しようとする自分が現れやすい。いくら気の知れた友人との対話であっても、礼儀の限度を感じてしまうことがある。
 ダメだと分かっていても抱いてしまう感情。惰性、劣等感、自意識過剰な気持ち。「SIDE B」の感情をむき出しにすることは難しい。

 人前では決して表せない、私たちの裏側に潜む、矛盾だらけの混沌とした心の声を代弁してくれる作品がある。太宰治による長編小説『正義と微笑』は、夢に向かって進む日々のなかで、たまには弱音を吐き出したくなる、そんな感情をなぞる言葉で埋め尽くされた作品だ。
 主人公は、映画俳優を目指す一人の青年。映画俳優になるという夢を抱き、そしてその夢を叶えるまでの一歩一歩が日記形式で描かれる。劣等感、不安、絶望、期待、自惚れなど、決して順風満帆ではない日々のなかで抱くさまざまな感情を、日記という一人だけの場所で赤裸々に語る物語だ。

 青年が一人、日記に綴り続ける言葉は、夢や理想に向かって挑戦するすべての人の心の内側そのもの。この本を読むと、過去の学生時代、青い気持ちがよみがえる。無邪気に、がむしゃらに、等身大の姿で夢に向かって進んだ時間がよみがえる。努力するすべての人にとってのバイブルだ。
 そして新たな夢を描きはじめた今、私は再び、この本をそばに置いている。


最も瑞々しい太宰作品

 主人公は、十六歳の青年・芹川進。作家を目指す大学生の兄、病弱な母、婚前の姉をはじめ、その他に書生、女中、看護婦を含む6人と暮らしている。なかでも進は兄をとてもよく慕っている。とある日の晩、その兄と一緒に聖書の一部分を読み、真面目に生きようと一念発起した進が、日記をつ付け始めるところから、物語は始まる。
 『正義と微笑』というタイトルは、その聖書の一部分、マタイ六章十六節以下を読んで決意したモットー「微笑をもて正義を為す」からなる。

 ある日、進は第一志望校の入学試験に落ちてしまう。一人になれる日記という場所で綴られる、彼の落胆、絶望、自暴自棄、順を追って変化していく心境は、彼の背中をさすってやりたくなるほど居た堪れない。そして、周りから手が付けられないと思われるほど落ち込んだ数日後に、映画俳優を志すことを決意する。
 決してすぐに映画俳優という夢に飛びついたのではない。学校の先生や友人、家族などの周囲との些細なやり取りのなかで生まれる劣等感や軽蔑、また試験落第などの挫折を通して、彼のペースで少しずつ決意を固めていく。
 あどけなさの残る文章に込められた、将来についての希望や羨望、不安や焦りが、日を追うごとにゆっくりと決意として昇華されていく。その決意までの心模様は、無謀に思える夢を現実にしてやろうと意気込んだ、いつかの初心を思い出させる。

 太宰治は言わずと知れた、戦前から戦後にかけて活動した日本の小説家だ。彼の代表作には、『走れメロス』『人間失格』『女生徒』『斜陽』などが挙げられる。太宰の作品には、人間が生まれ持った性(さが)をテーマにしたものが多く、決して幸せの一色では表現できない作品ばかりだ。また、薬物依存や自殺未遂、不貞行為を繰り返してきた太宰本人の不安定な私生活からも、一般的に暗い作品の多い作家として知られている。
 そんな暗いイメージのある太宰が、「今度の小説ぐらい、明るい楽しい気分で書いたものはない」と語った作品が『正義と微笑』だ。この作品は当時の太宰最愛の弟子だった、堤重久の弟から借りた4冊の日記を基に創作された日記体小説である。太宰は弟子から日記を受け取るや否や、すぐに創作にあたり、通常の倍以上の早さで完成させたといわれている。
 戦中にまで、小説の創作活動に励んだ作家は珍しい。そのような時代に、希望に満ちた明るい作品の創作に取り組んだ、太宰の作家としての意志や信念はどれほど強いものだったのだろうか。思わず思いを馳せてしまう。

 『正義と微笑』と同じように、若い青年の心のうちを赤裸々に描いた作品がある。太宰本人の幼少期から青年期の記憶を綴ったエッセイ『思ひ出』は、1936年に出版された第一創作集『晩年』に収録された作品だ。太宰が幼いころから漠然と小説家になろうと考えていたことや、周囲との人間関係のなかで芽生える劣等感や自意識など、自分の心の内側を強く意識して生活していたことが描かれている。静かな語り手と田舎の風景が浮かぶ、彼の作家人生の原点に近づいたエッセイだ。
 一度経験したことのある苦労を、他人が同じように経験しているとき、共感と励ましの気持ちを抱く。それと同時に、相手の悩む姿に、苦しんでいた当時の自分自身を重ね、懐かしさを感じることがある。
 太宰にとって『正義と微笑』は、主人公・進の苦悩や絶望する姿に、過去の自分自身の苦味を投影し、その苦味を乗り越えた「いま」を実感することができた特別な作品なのかもしれない。彼が明るく楽しい気分で書けた背景には、この余裕があったのだろうか。太宰作品のなかでも唯一無二の青さと瑞々しさを放っている。


言葉することで、新たな自分へと進んでいく

 一人になれる場所を持つこと。そこで立ち止まり、自分の心の内側と向き合うこと。その過程のなかで構築されるむき出しの感情は、普段表には出すことのない、裏面の自分だ。
 さまざまなコンテンツに溢れた日常生活のなかで、物理的・精神的に一人になれる時間を、日ごろどれだけ確保できているだろうか。SNS上でさえ、誰かの目を気にしてしまい、表現を制限している自分に気付いてしまう。
 全ての情報を遮断し、机に向かい、ペンを持ち、心のうちを日記に付ける。ただそれだけの簡単な作業が、これほど難しく感じる時代も珍しい。外には出せない素の状態の自分の考えや思いを、文字にして改めて読むと、幼さや理屈っぽさ、これまで目を背けていた部分を認めざるをえなくなる。やり場のない感情に駆られるだろう。

 過去の自分の愚かさや情けなさを記録し、悔い改めるために始めた主人公の日記。反省の材料であった日記は、季節の移ろいとともに主人公の伴走者となり、なくてはならないものになっていく。あらゆる感情を綴ることは、自分の弱さを認められる強さがあってこそ、できることだ。
 一人で苦悩に向き合いながら、意を決して歩んでいく姿は、彼のモットー「微笑をもて正義をなす」そのものである。
 泣き言も、悩みも、怒りも、悔しさも、喜びも、すべてさらけ出した感情は、読者の心に覆いかぶさった重い蓋を吹き飛ばしてしまう。風見鶏のように一喜一憂する無邪気な彼の姿は、いかにも人間らしくて愛おしい。そして、その日記のなかに自分自身の姿を見出せたとき、ありのままの素直な自分をさえも、愛おしく感じていることに気が付くだろう。
 主人公・芹川進は、意を決して進む人の「SIDE B」として、今日も誰かの手のうちで、必死にもがき苦しみ、夢を叶えている。

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