おやすみ学級委員長
2年ほど前から、コーチングを受けている。家庭のことで悩んでいた私に、上司がすすめてくれたのがきっかけだった。
3週にいちど、50分間のセッション。内容は自由。
あるとき、「自分の気持ちを否定してしまう」というテーマで話をした。
「この人苦手だな」と思えば、「そんな風に思ってはいけません」という自分が現れる。
ネガティブな感情になるたび、「こう感じる自分がおかしいんだ」と考えるのが物心ついたときからの癖だった。
「塩冶さんの中に、ダメ出しをする別の自分がいるんですね」
コーチいわく、自分の中にはさまざまな人格がいる。
異なる役割や主義主張をもつ彼らを、「おとなの自分」がファシリテートするイメージで付き合っていくといいらしい。
「ダメ出ししている人格を、塩冶さんの外に出してみてください」
言われたとおりやってみると、表情のかたい、真面目そうな少女が姿を現した。私は彼女を「学級委員長」と呼ぶことにした。
「学級委員長は、どういうはたらきをしてくれていると思いますか?」
思い浮かんだのは、社会からドロップアウトしそうになる私と、連れもどそうとする学級委員長の姿。
昔から、親や先生、友だちなど、周囲との関わりの中で違和感をおぼえることがたくさんあった。その感覚に向き合いすぎると、日々の生活がままならない。
だから、「いちいち変なこと考えないの」と私をたしなめる人格がうまれたのだろう。かれこれ28年くらい、彼女は私の中にいる。
「塩冶さんが社会からはみ出さないように、ずっとはたらいてくれていたんですね」
「ありがとうって伝えてあげてください」
コーチに促され、長いあいだ頑張ってくれてありがとうね、と静かにねぎらう。
彼女がいたから、どうにかここまでやってこられた。でも、彼女は私を傷つけ続ける存在でもあった。
違和感を覚えるたび、「そんな風に感じる自分がおかしい」と結論づける。自分を悪者にしておけば、収まりがいいからだ。
周囲との摩擦を避け、そつなく日々をやり過ごす。それが私の生存戦略だった。
けれど、違和感が消えてなくなったわけではない。行き場をなくし、くすぶり続けている。コーチングは、その一つひとつをテーブルに広げ、向き合いなおしていく作業。
私はようやく、「自分を否定する必要などない」ということを理解した。
「これからは、学級委員長がいなくても、おとなの塩冶さんが対応できるんじゃないでしょうか」
穏やかな表情でコーチが言う。
「学級委員長が出てきたら、『心配してくれてありがとう。自分でやれるから大丈夫だよ』って声をかけてあげてください」
勤続28年のはたらきものに、ようやく訪れた休暇。任務から解放された彼女は、初めて見るやわらかな表情をしていた。
このセッションから3ヶ月後、私はコーチに会社を辞めると報告した。
これまでの私なら、「お世話になった会社を辞めてはいけません」という学級委員長の言葉に従っていたかもしれない。でも、最近は彼女に会っていない。
「自分で決められたんですね。お祝いですね」
コーチは嬉しそうに笑った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?