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少年と鬱屈とキャメルライド

モロッコの街はサーモンピンクの壁で覆われている。

朝7時にリヤドの扉がノックされ、促されるまま朝日も昇らない街を歩く。マラケシュの旧市街は迷路のように入り組んでいて、車は基本的にメイン通り以外には入場できない。「砂漠ツアー」用のバスが駐車されている道端まで運転手と私、2人分の足音が響く。2泊3日のツアーが始まる。

旅行地にモロッコを選んだのはサハラ砂漠を見たかったからで、そのためにはパックツアーに参加する必要があった。今回行ったメルズーガ砂丘は整った観光地で、宿泊地へ向かう道も、写真撮影の場所も、食事も、アクティビティも全てがコントロールされていた。ツアー中は雲ひとつない晴天が続き、天気まで調整できるんじゃないかと錯覚するくらいだ。

観光客らしくラクダの背に乗って宿泊地へ向かうが、元々ラクダは砂漠で荷物を運ぶためにいるのであって人を乗せるためではない(気がする)。鞍的なものを使っても上下左右に揺さぶられる。2時間ほど乗った後お尻に鈍痛があったので確認すると、人生初の尻ズレを起こしていた。

キャメルライドでは何匹かのラクダを口輪とロープで繋ぎ、先頭のラクダの口輪から伸びた綱を先導の人間が引いて歩くことで隊列が作られる。先導をしていたのは"ベルベル民族"の少年だった。

外務省のデータによると「モロッコの民族比率は65%がアラブ人、30%がベルベル人」だ。公用語はアラブ語、ベルベル語、フランス語だが、多種多様なルーツの人々の交流地点として発達した歴史を持つモロッコでは、言語も場所によって混ざり合い、その地域独特の発達を遂げているという。

なかでも"ベルベル民族"は砂漠地帯の先住民族で、現在は観光業で生計を立てる場合も多いことから、4、5か国語を操る人も珍しくない。実際、宿泊したリヤドの20代のスタッフはベルベル語とアラブ語、スペイン語、フランス語、英語を流ちょうに使い分けていたし、ツアーガイドは8ヶ国語を話すと自称していた。彼らは彩り豊かな情報をくれた。砂漠のこと、自分たちの暮らしのこと、土地の風習・習慣、ベルベル民族の歴史や誇り…

頼んでもそうでなくてものべつまくなしに話しかけてくるこれまでのガイドに比べ、ラクダの先導をしていた少年は静かだった。彼はただ淡々とラクダに口輪をかけ、隊列を組み、目的地に向かって黙って歩く。ポイントを押さえつつ緩慢な所作は、似たような状況を何度も繰り返したことで生まれたのだと思った。

砂しかない場所も人が歩けば足跡が、ラクダが歩けば糞が残る。昼間はそうした痕跡を、夜は星を手がかりに、日々観光客を運ぶ。必要に応じて「photo」と口にする少年と目が合うことは一度もなく、時たまちらりと後ろを振り返る時に見えるうんざりとした顔は、疲れだけではないような気がした。

行きと帰り、2回にわたって同じ少年の先導するラクダに乗った。それ以上でもそれ以下でもなかった。

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