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罪悪感を植え付ける装置
リスボンとバカリャウは切っても切れない関係にあるらしい。
バカリャウとはタラを塩漬けにした干物のこと。ポルトガルで最も食べられている海産物の一つで、街を歩くとその独特な臭気が漂ってくる。
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なんとなしに頼んだスープやリゾットにもバカリャウが入っているし、街の商店やスーパーの店内の一角にもバカリャウコーナーがある。何世紀にも渡り貿易面でポルトガルを支えてきた歴史を持つだけあって、リスボンで暮らす人々の生活の中に深く根付いている。
リスボンを歩くと、他にもポルトガルと切り離せないものがあると気づかされる。
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リスボン大聖堂が建設されたのは1147年。市内で最も古い教会で、イスラム礼拝堂の跡地に建てられた。ポルトガルでは12世紀ごろまでムラービト朝の支配のもとイスラム教が主流だったが、ローマ教皇と強いつながりをもつ初代ポルトガル王、アルフォンソ1世に制圧されたことでキリスト教(ローマカトリック)が根付いた。
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写真の通り、中は外観以上に荘厳だ。入り口を抜けると正面に礼拝場所があり、廊下が十字架の形になっていることがわかる。側面に並ぶ巨大な円柱とアーチが特徴的で、見上げるとどこまでも石造りの天井に取り囲まれる。
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妙に荘厳だと思った。祈りの場所である一方で、同時に威圧をもって人の存在を小さく感じさせてくるような場所だ。人の作りあげた「神」はこんなにも見るものを圧迫してくるのだろうか。
ポルトガルにはローマ教皇の権力をして国を成り立たせてきた歴史がある。大聖堂の建設当時、キリスト教が少数派だったなかで、ほかの神を信じる人々(当時の大衆がどの程度信心深かったのかはわからないが)を改宗させるためには、暴力的な荘厳さをもって、祈りの性質を塗り替える必要があったのかもしれない。こうして生まれた「神」には、人々に罪悪感を植え付け、そこから逃れるために差し出された装置のような役割があるようにも感じる。
リスボンの街中には大聖堂以外にもいくつもの教会がある。教会のそばを通ると、中からは祈りの声が聞こえてくる。そのうちのひとつを見学した。神父の取り仕切るミサでは人々が声をそろえ祈りを唱える。その後には参加者同士のおしゃべりや笑い声が響いていた。日本でいう寺や公民館と近いのだと思った。
アメリカの国務省の調査によると、ポルトガルでは15歳以上の国民の80%が自身を「カトリック教徒」と考えているという。定期的に教会に通ったり、細かな宗教的儀式やイベントを行ったりする熱心な人々は、若年層になるほど少なくなっているともいわれるが、昔権力から差し出された装置だったものは年月を経てもリスボンを包んでいる。
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