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人の性格は変えられるのか

「人」というと2パターンあります。

自分とそれ以外。

自分の性格は変えられるけれど、それ以外…他人は変えられない。
と私は思っています。
なんでこの人はこんなことを言うのか。こんな風な彼、彼女を変えてあげたい。とは思いますが、その都度おこがましいなとも思っています。

占いをするうえで、頼まれてもいないのに占って
「あなたはこういう人生を歩むのでこうしたら良いよ。」
なんて、おせっかいで非常識!と感じる方が多いかもしれませんが、
これが対後輩であったり、身近な人だと
「君はこうしなさい」「あなたっていつもこうだからこうしなよ」
と言ってしまいやすいですし、おせっかいというよりは優しさで言っていると思うのではないでしょうか。

どちらもやっていることは変わらないのに、その前提がなんであるかで感じ方が変わります。

頼まれてもいないのにやる

これも相手にとって有益であればありがとうですが、お願いしたわけではないのに色々やってくるのはおせっかいなだけになります。
つまり相手がどう感じるかが問題というわけです。

自分は変えられる。

これは自己啓発本を読んでいれば耳にタコができるほど聞く言葉です。
また、ちょっとばかし、良い感じの言葉でもあります。

嫌なことがあったときに、なんでああしないんだ、こうしないんだといらだつときがありますが、見方を変えると自分の伝え方を変えるだけでやってくれたり。

例えば、私的には早めにやってほしいけど、忙しいだろうからなるはやでお願いしたい用件があったとき、相手に期日を伝えず、その仕事が終わったらで良いよなんて言ってしまって、今日中に欲しい内容を次の日にやってくるとか。
この内容だったら、今日中に決まってるでしょ!と思いますが、期日を伝えずに、しかもなんで早くやってほしいのかも言っていない状態で怒るのは私が悪い。

相手と私の「早く」は同じ速さではないとわかっているけれどわかっていないものです。
こんな時、数字は便利で、今から3時間後に会議だから何時までにお願いとか。
言う方も変わる必要がありますが、現実そんなに理解のある人はおらず、
なるはやでタイプの人が指示してくることが多いので、
そんな時は、「今●●をしていてそれは何時までにやったほうが助かりますか?」という聞き方をするとか。

自分が悪いとか変わりたいと自分自身が思っていないのに変わることはありません。
そしてそれに気づくこともないのです。

占いをやって面白いのは、自分自身がどんな人なのかどうしたいのか目的があるかであって、望まない結果が出ることに腹を立てるのは、そのギャップを信じたくないからなのかなと。

占いは相手の心が読めるわけでもないし、その結果を信じれない人が相手がどんなことを言っても信じれるのは、信じたいことだけ信じる性格なだけであって、疑心暗鬼な方はそれさえも信じない。
都合よく考えられるようになることもまた必要なのかなと思います。


最初に占いを始めた数秘術も面白いのですが、ランダム性のあるタロットカードにはまっています。
相手が本当にこう思っているのかは知りませんが、自分の行動は変えられるのでそういう意味では、当たるのかもしれませんね。

当たる当たらないというより、こういう考え方もあるかなとサイコロの面を見ているようで面白いです。

表の顔と裏の顔。
その時のその場所、その時間、そのタイミングだからその自分と相手が対峙している。
性格は変えられないけれど、なりたい自分にはなれますし、思考回路が変われば行動が変わる。

まるでシュミレーションゲームの主人公みたいですね。

追記
タロットカードの大アルカナの見方で、
フールズ・ジャーニーというものがあります。
これは、人の内なる成長のステージを大アルカナがどう象徴しているのか解釈するものです。
神秘的な言い方をすると、「魂の昇華」みたいな感じでしょうか。

こちらを読んでいて、今この人はこのステージだろうなとか、私は今このステージになったとか落ちたとか考えていると、人生の波を感じます。

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