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人間関係が国益より上の人たち

義理に縛られ本来の目的を見失う。
婚姻関係や親族ならまだしも、仕事で繋がっただけで考えまで縛られてしまう。
そこは簡単によそ者が入れない村社会で、治安という面では威力を発揮することもあるので決して悪い面だけではないと思う。

だが政策批評となると話は別だ。
村社会の事情などおかまいなく、非情な国際社会は走り続けている。

元々は志を持って言論活動を始めた人でも、原稿や講演の依頼をしてくれた人から
その言論の内容を縛られたり、それどころか「誰それと関わらないでくれ」といわれただけで、一切の関係を避ける。
たとえメールがきても返信すらしない。

人間関係に縛られた言論の中身に論理的整合性が見いだせない時、
人々は敏感にその言論の裏にあるであろう人間関係に想像がいく。

当然だ、そこは同じ日本人同士だ。
日本に生きていれば一度は自分たちの身にもおきたことだから分かるのだ。

自立精神が低いままに天下国家を語る姿勢には不信感しか抱かない。
村社会を守って国が滅びるのを黙って見過ごすわけにはいかない。