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仲間とは・・

日本人は義理人情に弱い。
これは日本人の弱点であり同時に美点だ。
治世では美点となるものが、乱世では弱点となる。

日本人は右も左も相手を信用しすぎてしまい大事な政治運動の中でも検証せずに、日頃お世話になっている人からの頼みをそのまま引き受けてしまう。
どんな人物がその運動を管理し、どのようなチェック機能が働いているのかの確認せずに。

そして扇情的な言葉と、「いつもの仲間」で運動を盛り上げ、考え方が一致する人々を煽り運動へと駆り立てていく。
駆り立てられた人々は、(この運動に参加することが我々の願いを実現させる一歩となる)と信じて
さかんに周りにも声をかけなんとか、賛同してもらい、共に行動してもらうようにお願いする。

ところがひとたび、その完璧と思われた市民運動に汚点があったと発覚すると、大衆を扇動していた人達は音もなく、風すら起こさずサッと去る。
なんの説明も、釈明すらせずに。
そんな人達が日頃何をいっているかと思えば、「国を護れ」「国家の危機だ」「リスク管理を!」である。

私たちはその言葉を自分の「仲間との集団行動」にこそ求めなければならないのではないだろうか。
私が保守の政治運動を冷めてみるようになった理由が主にこれだ。
一度のリコール運動についてだけではない。