わたしは日記が書きたい
わたしは日記が書けない。
こにちは〜、
"enjoy!"(エンジョイ)というコンビの片われ、
おせちと申します。
突然ですが、
日記、書いたことありますか?
わたしはあります。
そりゃあも〜〜〜、ありますとも!
で!も!
続かないんですよね〜、ニキなるものは。
(日記をニキって読むの、かわいくないですか)
(土佐日記にインスパイアされまして)
ちなみに、
ほとんど同義で手帳も続いたことないの民。
なんででしょ、
って考えてみたのです。
それと、
日記を書きたいな〜って思ってますよ〜
っていうだけのおはなしです。
ではっ、
レーッツ・ニキニキ!
✍️
ーーー
1. 日記が書けないはなし
1-1 具体的な文が書けない
enjoy!のもう片われ、
サンタとわたし(おせち)はいろんなことが正反対。
それは、文章の書きかたにおいてもそうで。
サンタの文章は、
「いつ/誰が/どこで/なにをしている」
かがハッキリと情報として伝わるんですよね。
(頭のなかどうなってるんだい、サンタちゃん)
対して
わたし(おせち)の文章は、
「誰が/どう思ったかァア〜〜〜〜〜〜!」
みたいな。………わかります?(笑)
(このへんからあふれるの具体性なさよ)
だからつまり、なんだろ、
ものすごく抽象的なんです、文章が。
ぜんぶ、"心の内"のことになっちゃう。
ゆえに、
「(わたしの書きたい)日記じゃなーい!」
となるわけでして。
もちろんいい面もありますけどね、
人さまの"心の内"を明かしてもらえる文章は、
なんだか心を許してもらえたようでうれしいし。
でも、あくまで"わたしごと"の日記とすると、
読みかえした時に「この日何してたんだっけ…」と
なりがちというわけです。
(原因:ほとんど"思ったこと"しか書いてないから)
だから今は日記ではなく、
ノートに思ったことを思ったまんま、
ダーーーーーーッ!と書き出してます。
とはいえこれが、
「(わたしの書きたい)日記」かというと
そうじゃないんだよな〜というかんじ、です。
ムズカシね〜
1-2 なにかを続けられない
わたしの母は、
日記を50年ほど書いているらしく。
それってとんでもないことだなあと思うのです。
わたしの今の年齢から50年続けたら……
と計算したら、
「まずは健康に気をつけようね〜」
という結論にいたりました。
それほどに50年って長いですよね。
すごいよ、母。
そんな「継続の鬼(本人はそんなつもりはない)」の
娘のくせして、わたしはまあ〜〜〜続かない!
こんなに続かない人いる?ってくらい、
ものごとが続かないんですよ。
なんででしょうね。はてさて。
父のせいですかね、(人のせいにしない!) 笑。
"続かないわたしエピソード"といえば
あげればキリがないのですが、
たとえば、
先ほど「ノートに書く」と言いましたアレ。
そもそもそのノートも使いきれないんですよね。
学生時代は当たりまえに(たぶん、おそらく)
1冊使いきれてたはずなのにな〜…
なんででしょうね。
フシギダネ〜。ダネダネ〜。
先週(日記じゃないのですが)、
「よーし、はじめるぞ〜!」と思ったこと。
その日1日で終わっちゃいましたからね。
・・・😇
…
あの、
このnote書いたら、はじめます。
笑
心のなかで思うだけだと確実に続かない
→(一方的に)宣言させてもらうスタイルのひと。
2.日記が書きたいはなし
2-1 あなたの生活を読みたい
何度も挑戦して、そのたびに挫けて。
それでもわたしはなんで日記が書きたいのか。
ということを考えたときに、
やっぱりね、
「人の日記を読むのが好き」
だからっていうのがいちばんに来ます。
日記、うん、日記…
(まとまらないまま書くスタイル←いつもこれ)
日記、というか、もっと詳しくいうと、
「生活」なのかもしれないな。
何時に起きたとか、天気はどうだったとか、
何を食べたとか、どんなことをしたとか。
そういうのを読むのが好きなんですよね、わたし。
そうそう。
だってそのかたにとっての"当たりまえ"は、
絶対にわたしにとっての"当たりまえ"じゃないから。
たとえば、
夜ふかしが好きなひと。
わたしは朝はつよいけど夜はよわいから知りたい。
たとえば、
小説が好きなひと。
わたしは小説さっぱり読めないから知りたい。
たとえば、
逆上がりができるひと。
わたしは逆上がりができないから知りたい。
…などなど。
そう思うと、そう思うと!
(とつぜんの熱量)
"日記(生活)"っておもしろくないですか?
わたしも今書いていて、ひしひしと感じています。
(今?)
このnoteを読んでくださっているあなたの、
"当たりまえ"の生活が読みたい。
日記っておもしろい。
だから、わたしも、日記が書きたい。
2-2 あとから読みかえしたい
これは、
「書き手:わたし」「読み手:わたし」
における"わたしが日記を書きたい理由"。
日記は書いても意味のあるものだけど、
読んだらもっと意味があると思っていて。
過去のわたしの"当たりまえ"であったり、
うれしかったこと、悲しかったこと、乗り越えたこと。
それらはすべて未来のわたしを支えてくれる。
…はず。(日記続いたことないからネ!)
究極、「きょうはねてた。」だけとかでも、
見返したら「ねてたのか〜」ってニコニコできそう。
なんなら、「どうしようもない過去のわたし」ほど
「未来のわたし」を救うものってないんじゃないかな。
「きょうはつかれた。」「きょうはだめなひ。」
とか、書いたそのときは「しょうもな!」ってね、
思ったとしても。
「昔のわたしもこんなにだめなんだからいいや〜」
「そんな日もあるよね〜ねよ〜おやすみ〜」
って気もちが軽くなるかもしれないし。
もちろんいいことが書いてあれば、
そのことばたちに励まされるだろうし。
でも、それってそもそも、
日記を書かなければ味わえないものだよなあと、
思うわけですよ。
もちろん、
何もかも忘れちゃうわけじゃないけれど。
でも、ほとんどは忘れちゃうよね。
(昨日のことすらもあんまり覚えてないわたし)
ちょっとうれしかったこととか。
それこそ"当たりまえ"すぎることとか。
だけど、なんか、
そういうことこそ覚えていたいよなあ。
なんてしみじみと思っている近ごろです。
きっと、ずっと無職ではいられないし。
この"当たりまえ"もそうじゃなくなるし。
そうしたらなんか、
今ある毎日がトクベツに感じられてきて。
うわ〜!
やっぱり日記、書きたい。
ィイイ
(エコー)
書きます、今日から。
🎤
ーーー
毎日書くとか、どのくらい書くとか。
あんまりガチガチにルールを決めちゃうと
10000…(無限大数)% 続かないからさ。
とりあえず、
書いてみよ〜くらいのかんじでね。
書いていきたいと思います。
"当たりまえ"な日々を記すだけではございますが、
もしまたお見かけいただいた際にはふら〜っとね、
読んでいただけるとうれしいです。
最後まで(なんと!2800字!)ご覧いただき、
ありがとうございました。
以上、
enjoy!のおせちでした〜
(せーのっ)
\ エンジョイ!エンジョイ! /
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