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6/24,,多様性を考える

1億2500万人いるけど、みんな違う、また・違くていい、

個性とも言うが、少し違くて、いろいろな・というように
感じ取れる、
こんなに交友の少ない私でも知り合いはいろいろな人
がいて、親友もいるし、超・ウマが合う後輩もいるし、
気心知れてる先輩もいる、

また、広い世間を見渡してみると、82億人もいるし((驚嘆
世界は広い、
ものすごい特技を持つ人もいるし、大富豪もいれば
青シートの屋根のなかでコンロとテレビを使いこなす
ホームレスのかたもいる、

職業ひとつとってみても・千差万別、びっくりするくらい
いろいろな種類があり、
朝3時から働くかたもいるし、徹夜の日もあるナースとか、
市場のひと、レジ打ちの立ちっぱなしのおばちゃん、、、等々
まぁーさまざま、

この世は・多様性を認め合う前提のもとに成り立っている、

昔は・肌の色で区別して、行く店や座る席が違う・とか、
黒いだけで・はじかれていた世界もあったが、
いろいろな先哲のおかげで、
肌などの差別はずいぶん減っている様子、、、、

やはり、話してみて・なんぼ、
というように変わらなければならないと思う、
人は、ある程度突っ込んで話しを交わしてみると、いろいろ
出てきて、わかる、

世界の潮流は、対話による物事のおしはかり、という具合に
少しずつ変わってきてはいる、
まだまだだけど、
( 内戦や紛争が絶えない )

人と人が交わるとき、まず、言葉や文章のまえに、
目を見て・表情が動いて・やがて、あいさつを交わす、
そこから始まるので、
ましてや音楽や演劇などにおいては、
それさえもいらずに、感情の交差を得られる、
これは・素晴らしいことである、

あいさつしなくても、劇場や舞台で、人の動きを観察
するだけで、
人間の多様性を飲み込む認識が生まれ、
感情が動き、
作品によっては、生涯、忘れられない機会となる。

これこそ、人が多様性をわかり合って巡り合う
大きな軌跡になるのではなかろうか?、
機会である、

人は、同じ一生を過ごすあいだに、何人の人と
巡り合えるか?、と問うと、
まぁ数万人・・・て、ところだろうと思う、
なかには、どっかの大統領・なんてーのになると
数十億の人が認識するが、それは稀、

たいていのかたは、生きているあいだに会えるのは
数万人~数十万人、でしょう、
それだけしか会えない一生のうち、多様性を認めずに
あの人キライ・・・とか、
あの人合わない・・・とか、
言って一生を過ごすのだろうと思う、

こう考えてはどうか?、

すべての人が違うという多様性の中にこそ、
私自身も入って受け入れられている!!、、、と。

そう考えれば、82億人のうちのひとりなので、
あの人キライ・・・とかで
終始する必要が薄れる、のではないだろうか?、

もっともっと・例えば、facebook ひとつ取っても、
5000人で友だち承認は止まるけど、
すべて本当に知り合い・・・というかたは少ない、と
思う、
本当の知り合いの登録は、まぁ、2000人くらいが
最高かと判断してます、

わたしは友だちは少ないが、ご近所の知り合いは多い、
あいさつを交わせるひとは多く、
外出が気分転換になる、自動的に。

大きいところでは、
多様性を認め合い、譲り合う感覚を磨けば戦争は起きない、

小さいところでは、
多様性をふだんから意識すれば、事件は相当減る、
まず、殺人が減るはず、そして傷害も、

自身を見つめなおして・いいところをピックアップして、
人に知ってもらう工夫をすれば、自殺も減るはず、

このように・感覚としての多様性を分析して、
データとして・示して、
中学生くらいから授業で提示するようにしていけば、
自然と身について人を分け隔てしなくなる可能性
がある。
つまり、若い時分から植え付けるようにする、

世界を変革するにしても、
まず多様性をわかり合う人数が増していかないと
なんでも進めるのが困難、

紛争などは、宗教がやれ違う・とか、
昔はわれわれの領土だった・とか、
主義が違うからあっち行け・とか、
どうせその程度。

そうじゃない。

違うことを認識・学習し、
自身の個性を伸ばし、
人々とのかかわりに役に立たせる、のが
これからの世間には必要だと思う。

いちおう、、、このような現代のみかたをしています、
もっともっと人間は、わかり合える生き物だと思っています、

お読みくださり、感謝いたします。






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