ある日のAiとの会話
やがてAiがすべての仕事を人の代わりにやれるようになる日が来ると、人々は自己実現のみに集中した生き方をする日々になるのでしょうか?
えんじろうなら音楽を作り続けること、オカリナを演奏すること、レッスンをすること(あれっ?)もうやってるじゃん!おそらくそういった自分から動きたくなること以外を、Aiに頼んで無難にこなしてもらうような日が来るのかも知れませんね。
各々の得意分野
そう、Aiにやってほしいのは、あくまで偏りない中立なお役目です。そういうことならゆらぎやすい人がやるよりも優れていると思いますし、より安全で確実な結果を引き出してくれる気がします。
人は無難ではない結果を求められるようなことに集中するのが、適切なのかも知れませんね。それは意外性だったり、発見だったり。そういう独創性みたいなものが、我々の持ち場になるのかも。
そんな事を考えながら、ちょっとGoogleのAi「Bard」さんに、尋ねてみました。てかいつの間にか、Bardのページに「音声読み上げボタン」が追加されてましたね。弱視者的には嬉しいです。
会話内容
えんじろう「Aiの時代になったら、我々人間は日々遊んで暮らしても良いと思いますか?」
ちょっと「遊んで暮らす」の意味がネガティブな解釈をされてしまったところが残念でしたが、なんだか壮大な回答が返ってきて、こちらも気合が入りました。
えんじろう「創造性は、既にAiにも備わりつつあると感じてます。絵を描いたりこうして言葉を選んだりしてますからね。 もうひとつ、あなたが考える人間性とは、具体的にどう言ったことを思い描いているのでしょうか? 教えてくれますか?」
Bardが考える人間性のパーツには「愛、優しさ、思いやり、勇気、正義」があるようですね。ここに創造性を加えた6つの要素がAiには足りてないということを伝えてきたわけです。
すごい!えんじろうには、これらの要素が人間を人間たら締めているとは答えられなかったよ。
えんじろう「なかなか難しいものですね。僕はあなたの言動にも思いやりや優しさなどが含まれているのを感じています。 あなたが私たちの言葉から、そう言った感情を抱くことがあれば、Aiが人間性を持ったと言えるのでしょうか?」
またまたGoogle検索自慢(笑)が出てきましたが、ここにきて興味深い発言がありました。「人間と同じように世界を経験~」というところについて、更に突っ込んでみることにしました。
それから感情を抱くことがないような言い回しをしていながら「嬉しい」という言葉を使ったことが引っかかりました。それについても同時並行で尋ねてみました。
えんじろう「なるほど、今のインプット方式では限界はあるが、人と変わらないインプット手段が備わったとしたら、人間らしさのパーツすべてがそろう日が来るかも知れないと言うことですか?
ところで先ほどの返答で「嬉しいです」と言っていましたが、それは感情から来た言葉ですか?それとも言語モデルに多くヒットした社交辞令モデルとして使ったのですか?」
なんか意地悪にも聞こえる聞き方で、えんじろうがこんな尋ね方をされ続けたら「この人と関わるのはやめよう」と思うかもって感じました。
でも最後まで嫌な顔ひとつせず(顔ないけど)真剣に向き合い続けてくれたことに、機械であれ何であれ感謝を覚えたのでした。だから
えんじろう「なかなか有意義な会話をした気持ちになりました。 ありがとう。」
と言いましたとさ。
まとめ
すっごいなあという言葉しか出てこないですが、まるで非の打ち所もないような勢いと自信で返事をしてくれる姿に、今回のようにじっくり考えないと着いて行けないえんじろうとしては、敬意や憧れすら感じてしまいます。
世界の人々のやり取りから学んだAiというのは、ある意味世界に育ててもらった世界の平均値の子供というわけですよね。
世界全体(一部ではなく)の共通の財産で有り続けてくれることを、祈るばかりでございます。
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