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補助輪を外したあの日。

ふとした瞬間、別人の魂を取り替えて生まれ変わった気がしていた。
私は一体誰なんだろうと。
それくらい私は変わったと。

でも、結局は私は私なのだ。

親の呪縛を甘くみていた。
もう大丈夫だと思っていた。
日々の生きづらさには、何かきっと原因があると。

もう昔の自分じゃないと。

そんなこと無かった。
至極単純な事だった。
私は私だった。


嫉妬深く、ネガティブで、自信なんかなくて。
ずっと私が私である事に申し訳なさと劣等感を抱えて生きている。
大事な何かが欠けている気が、ずっとしている。

それに安心している自分もいる。
自分を卑下して安心しているのだ。
それも甘えの形なのかもしれない。

そんな自分に皮を被せていたに過ぎなかっただけ。

先日、旦那ととことんまで話し合った。
私はどうしてこんなに生きづらいのかを、2人で掘り下げて、漸く私の根本にある劣等感を突き止めてもらった。

ニンゲンは認知してもらってはじめて「人」なのだと痛感した。
いくら自身で頭をこねくり回しても答えが出てこないわけだ。

擦り切れて消えてしまうんじゃないかと言うほど泣いた。
でもきっとまだ足りないと思ってる。

こうして私は過去の自分を
少しずつ少しずつ供養して浄化させて
ゆっくりゆっくり成長していくのだろう。

一朝一夕では難しい。
まだ私の中で私はダメな子だ。
手のかかる子だ。
それでも心配してくれる人がいる。
心を配ってくれる人が
愛してくれる人がいる。
一人で私の寂しかった20数年を
幻だと思ってた愛情を
埋めて、惜しみなく注いでくれる人がいる。

有難いこと。
幸せなこと。

いい子でいようとしなくても
私を見てくれる人。

立派で優秀じゃなくても
褒めてくれる人。

素直にありがとうと言えるように。

完璧じゃなくてもいい。
情けなくなる自分でも
私なりにゆっくり成長できていると
いつか心からそう思えますように。

あの日はじめて補助輪を外した時のような
怖いような、ワクワクするような
何も分からない状態だけど。

また、1歩1歩重ねていこう。

気づいたら乗れているさ。


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